序
今や医療界はEBM(Evidence-Based Medicine)の大ブームといった感がある.編者らがEBM の紹介,啓蒙活動を始めた10 年前には「つまり,EBM というのは単なる臨床疫学の言い換えね」といった批判が多く,カナダの地方都市の新興大学医学部で始められた運動が,現在のような世界的潮流になるとは誰も想像していなかった.EBM とはあやふやな経験,直感にたよらず科学的evidence(根拠)に基づく最適な治療,予防法等選択の方法論で,臨床疫学を患者個々の臨床問題解決のために再構成した実践活動と表現される.この活動はMacMaster Univ. Hamilton Canada で1991 年に提唱され(Guyatt GH らに聞くと1990 年には内科レジデントプログラムで実施されていたとのことである),1993 年以降のEBM Working-Group のSackett DL,Hyanes RB,Guyatt GH らの活躍で瞬く間に医療界を席巻した.
EBM とは,個々の患者のケアについての意志決定の場で現在ある最良の根拠(evidence)を良心的に,明らかに理解したうえで慎重に用いることであり,哲学的起源は19 世紀中頃のパリやそれ以前にさかのぼるとされている(Sackett DL,1996).EBM の実践とは系統的研究や臨床疫学研究などより適切に利用できる外部の臨床的根拠とひとりひとりの臨床的専門技量を統合することと定義することができる.
この「EBM とは臨床疫学を患者個々の臨床問題解決のために再構成した実践活動」の「臨床疫学」という用語は,Paul JR が1938 年に米国臨床検査学会で,「clinical epidemiology」という題で講演した時に最初に使用したとされており,70 年の歴史をもつ研究領域である.この臨床疫学という領域は,ある意味細々と,専門家によって研究を進められていたが,EBM と置き換えられたと同時に耳触りの良さ,学問の香りが世の医療関係者の好奇心をくすぐり,あっという間に全世界レベルで,医療界全体を席巻した.
疫学と臨床疫学の関連を見ると,疫学とは,人間における疾病の分布と頻度の決定因子を研究する学問,健康関連諸問題に対する有効対策樹立のための科学であり,英語のepidemiology はepi = upon(〜の上に),demos =people(人),logos = study(研究法,学問)で「人の上に起こること(健康事象)の学問」と考えられよう.一方,臨床疫学とは,疾病の転帰の分布,頻度の決定因子を研究する学問で,疫学方法論の臨床医学への応用といわれるように,臨床医学と疫学を融合させた学際的研究分野といえよう.
本書は現在,医学界の大潮流となっているEBM の方法論の基礎をなす臨床疫学に焦点をあて,定義,歴史,現状,未来,診断のプロセス,N-of-1 トライアル,頻度,疫学指標,統計,医学判断学,メタアナリシス,リスクなど18 章に分け,日本の現状を充分考慮して,その領域の専門家にお願いし,解説したものである.軽く一読していただくと,臨床疫学の原則が理解できるよう記述してあり,詳細に検討しながら読み進むと臨床疫学の奥深さも理解いただけるよう記述してあるので,2 通りの読み方が可能と思う.
また,本著は数名の著者で記載しているため,用語の統一,一冊の本としての流れの一貫性などには編著者,分担著者が細心の注意を払った.しかし,編集・校正期間が短かったため,不完全の部分があるやもしれない.この点に関しては読者の皆様方の忌憚のない御意見をいただきたい.
また,類似した図表が何カ所かにみられるが,これは1 カ所にまとめるよりも,適宜必要箇所で参照できた方が煩雑さがなくなり,理解を助けるものと判断したので,そのような形式とした.これらの点に関しても読者の皆様方の御批判,御意見をいただきたい.
本書を執筆するにあたり,中外医学社の小川孝志氏に非常にお世話になった.また,東京慈恵会医科大学大学院松平透医師,西岡真樹子医師,佐野浩斎医師をはじめとする皆様にも多大な協力とご援助をいただいた.また,資料整理,イラスト作成などにおいては,縣千聖氏,縣賢太郎氏に大きな援助をいただいた.ここに記して感謝の意を表したい.
2003 年11 月
縣 俊彦