序
脳腫瘍の病態を理解し,患者の診断・治療を適切に進める上で脳腫瘍の病理診断は極めて重要な意味を持っていた.ところが今世紀に入り脳腫瘍の遺伝子異常に関する膨大な知見が集積し,遺伝子異常の観点から脳腫瘍を分類整理することにより,腫瘍の発生メカニズム,生物学的特性,治療反応性,予後予測などがより明快に説明され,臨床的にも有用であることが明らかになってきた.2016年5月,脳腫瘍WHO分類において「病理・遺伝子分類」が導入されたことは,90年以上にわたって脳腫瘍病理の基盤であり続けた「組織発生学的分類」からのまさにパラダイムシフトと言うべき大変革であった.
このような時流の中で純粋に形態学的な観点から脳腫瘍をみつめようとする本書『アトラス脳腫瘍病理』を出版することにいかなる意義があるのかと疑問視される方もおられると思う.しかし,我々病理医は脳腫瘍の形態に内在されている情報のはたして何パーセントを認識して病理診断を行っているのか実はよく解っていない.形態情報の中には染色体異常や遺伝子変異さらにはepigeneticな異常などによってもたらされる細胞・組織の粗大なあるいは細やかな変化がしっかりと織り込まれているはずであり,それを観察し,有益な情報として理解し,病態解析や病理診断に生かすことがこれからも病理医にとって大切な責務であると考えている.本書に掲載した数々のマクロ画像,組織写真,電顕写真は脳腫瘍の真の姿であると私は信じており,将来いかなるパラダイムシフトが起ころうとも,それはこれらの画像の見方を変えることはあっても,画像そのものの価値は不変であると考えている.そこでこれまで収集してきた脳腫瘍画像をまとめて出版し,現に脳腫瘍に取り組んでいる病理医や脳神経外科医,あるいは将来の医学徒,医療者,研究者の参考に供したいと考えるに至った.
群馬大学医学部病理学第一講座は川合貞郎初代教授から石田陽一教授そして私へと引きつがれ,脳腫瘍の病理を主要な研究テーマとしてきた.この間に集められた大学病院及び関連病院の脳腫瘍症例を基礎とし,さらにコンサルテーションなどの目的でお預かりした症例も一部借用しながら本書はまとめられた.群馬大学の症例の利用を可能としてくれた横尾英明病態病理学分野教授および好本裕平脳神経外科学分野教授に御礼申し上げます.また,関東脳神経外科病院清水庸夫院長には多数のMRI画像を提供いただき,さらに山形大学先進がん医学講座(脳神経外科)嘉山孝正教授には多数の脳腫瘍症例をコンサルテーションとして提供いただいたことに篤く御礼申し上げます.群馬大学において脳腫瘍病理をともに学んだ同僚はこの目的に全面的に賛同して,分担執筆を快く引き受けてくれました.本書の企画より3年半という長い時間が経過してしまい,途中で脳腫瘍WHO分類が改訂されたため,多くの章の書き直しが必要となるなど予想外の事態にも遭遇したが,この間辛抱強く私達を励まし続けてくれた株式会社中外医学社の企画部鈴木真美子さんと編集部上村裕也さんに深く感謝いたします.
2017年9月
中 里 洋 一