プロローグ
本書は教室とか大学といった組織ではなくて,個人レベルでの情報管理を検討したものです.そうした問題が知的活動を職業とされる方々にとっていろいろと重要なことはいうまでもありません.しかし,払が特にその面の本を書く理由は何でしょうか.いきさつも含めて,少し述べてみます.
しばらく前に,“文献検索と整理-図書館CD-ROMからの検索とパソコンによる整理法”という本を出版しました.さいわい好評でいろいろな方に使われています.その中軸はCD-ROMと個人のパソコンを結びつける点で,パソコンの使い方そのものを述べた面もありました.
私は大学勤めの医師としては著作が非常に多い部類に属しますが,それにはパソコンをいろいろに使っています.しかし,現時点のパソコンは技術やテクニックが必要で,だれでも簡単には使えません.たとえ使えても,情報管理を全面的に任せられません.パソコンは末完成の機器なのです.
私はたしかにパソコンをよく使います.しかし,問題は“道具としてのパソコン”ではなくて,“考え方”なのです.パソコンがスライド作成装置として素晴らしいことは認めますが,パソコンの意義は“この装置はこんなにすごい”“このソフトはこんなことができる”ではなくて,“パソコンを何にどう使うか”“自分の情報管埋の中でパソコンをどう位置付けるか”です.情確管理は,どういう装置をつかうか,パソコンを使うかファクスを使うか,というだけではなくて,もっと精神論の部分,“どう考えて立ち向かうか”の方が意義が深いのです.野口悠紀雄氏(一橋大学経済学部教授)の“「超」整理法”が重要なのも,“押し出しファイル”という「装置」の問題ではなくて,「整理をやめて,ただ入力の順序に1列にならべて,あとは記憶に頼りなさい」という発想の転換の意義が大きいのです.
そういう眼で見ると,入力や整理や出力への考え方が,私は他の方々と少しかわっていると感じます.こんどの本は,自分の考え方を書こうということなのです.
たとえば,本書の冒頭で,“自分の感覚・感性に頼れ”と主張しています.気に入ったやり方,気に入った装置,気に入った領域が大切だ,というのは60歳近くまで大学で働いてきたものの実感です.働くことがただ好きなのではなくて,領域やアプローチが気に入っていれば,それが結局生きるというのが現在の私の考えです.情報にしても,気に入った情報は自分の情報になって,あとあとまで繰り返し使い,本当に身につくのです.
どのような領域でも,勤勉ということ,汗をかくことがなくて上手に処理できることはないでしょう.しかし,勤勉と汗だけでは解決できないことも少なくありません.学生の方々やわかい研究者の方々が,どう考えればいいのか,どうすればばムダを省けるか,ものごとを深く理解し認識できるのかを述べるのが本書の目的です.