序
大学生のころから,「こういう状況ではこう行動すべし!」という医学教育に疑問を抱いていた.たしかに,あまり斬新な試みは倫理的になかなか許されないであろうが,にわかにはとても信じがたい「常識」を大上段から浴びせられると「おまえ見たんかい?」と叫びたくなる衝動に駆られた.筆者は天邪鬼である.自分で論文を読むようになると,「p=…で有意差が認められた.」なる表現によく出くわして,「ほんまかいな?」という気分はさらに強くなった.ちょっとした好奇心と,旺盛な懐疑心と,それにも増して,「医学をより客観的に語り直したい」という野心(≒見栄?)から医学統計の勉強をしてみようと思った.
パソコンと統計ソフトの普及により,とにかくデータをほうりこむとわけのわからないうちになにやら解析結果らしきものを得るという時代になって,ますます医学を支える論理は危機的状況に陥ったようである.しかし,なんといっても統計ソフトの利用は便利で簡単で,わけさえわかれば,面倒なプログラミングをしなくて済むのはとてもありがたいことである.
医学統計の参考書は,手計算を前提に解析方法を羅列した「教科書」(数理統計学の教科書がないと理屈はよくわからない)と,ソフトのマニュアル本に大きく二分されるようである.自分が勉強していく中で,理論も応用も一冊で済むという教科書がないことを歯がゆく思ってきた.本書は,時間のない臨床家のために,ケーススタディの形で解析の理論とソフトの利用法の両方を提示することを目標にした.「統計の教科書は数式ばかりで意味が見えにくい」という声をよく聞くので,いろいろな統計手法の「気分」にもできるだけ紙面をさいたつもりである.
第 1 章は,数理統計学の教科書には必ず記載されている統計学の基礎事項である.章の性格上,数式による記述が多いが,気分が悪い方はひとまず飛ばして用語辞典替わりに使っていただきたい.第 2 章は,統計ソフト(StatView,JMP)の基本的な利用法を詳しく記述したので必ず読んでほしい.第 3 章以後は一応独立しているが,第 7 章の生存関数の比較は,第 6 章の層別解析を先に読まないと理解しづらいかもしれない.各手法の理論的背景と,本書の数学的記述の部分の理解に必要な線型代数学,微積分学の基本事項(大学教養程度)は付録に載せた.
例題に用いたデータは,筆者がいままでに実際に解析を依頼されたものである.Cox 回帰を除いては,個人レベルの研究であり,サンプル数が少ないので,統計学の例題としては適切でないかもしれない.とくに,Logistic 回帰は,実験デザインの仮定を変更して解析するというかなり見苦しい例題となってしまった.筆者の経験不足から生データの収集がおぼつかなかったのが実状である.平にご勘弁いただきたい.東京大学第三外科の河原正樹先生,三村芳和先生,東芝林間病院整形外科の小林誠先生,日本医科大学麻酔科の北村晶先生,癌研付属病院外科の斎藤光江先生には研究データの掲載を快く了承していただいた.先生方の協力がなければ本書が完成しなかったのはいうまでもない.
前東京大学第三外科教授大原毅先生(現横須賀共済病院院長)には,大学院進学の際に,医学統計の勉強をきちんとしたいという筆者のわがままを聞き入れていだだいた上に本書の発刊に関してご尽力いただき,心から謝意を申し上げたい.
放送大学教授長岡亮介先生には,数学的補遺の原稿に目を通していただいた.先生には数学者の立場から,医学統計の問題点やあるべき姿について日ごろからご意見をいただき,この場を借りて感謝の意を表したい.
一方的で恐縮だが,東京大学疫学生物統計学教授大橋靖雄先生にも感謝したい.医学部医学科に,十分な統計学の講義がなかったころ,保健学科の授業を「もぐり」で聴かせていただいた.本書の記述の中には,先生の講義からの「受け売り」も少なからずある.
最後になったが,発刊に当たって担当になっていただいた中外医学社の小川孝志,久保田恭史両氏にお礼を申し上げたい.両氏には,せっかちな筆者のめまぐるしい校正に強制的に付き合わせてしまった.
本書を,医学研究に携わる臨床家のデータ解析の役に立てていただければ,望外の幸せである.
1998年7月
野口 千明
chiakin☆ibm.net
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