序
耳鼻咽喉科は外科系の診療科であり,手技の巧拙は資質を問われる一要因である.私は常々若い研修医諸君に「手術は手で行うのでなく,頭でやるものである」と説いてきたし,また自分自身にも毎回言い聞かせている.その意味するところは,「頭の中で常に一歩先のステップを考え,また起こり得る不測の事態に対しどのように対処するかを検討しながら手術を進めてゆく」である.
しかしこれは実際にはなかなか難しい.というのは,第一に解剖学的に複雑で,頭の中に立体的に把握することが,二次元に表現された図での勉強では必ずしも容易ではない.第二に特に耳科学,鼻科学では視野が限られており,術者のみしか見えないことが多い.このため助手として何回も手術に加わってもなかなか術者のいわゆるコツを学ぶことが困難である.第三は,皮膚,粘膜,骨のすべてを扱う科であり,器具もきわめて多種多様である.したがって,それぞれの組織にいかにして手術侵襲を正しく加えるか,どのような器具を用いるかについて,覚えなくてはならないことが,あえて言えば多すぎることである.そしてこれらが教える者にも教わる者にも頭痛の種となっている.
このたび,平出文久氏が研修医のために基本的手術書を上梓された.氏は耳科学,鼻科学,咽喉頭科学,頭頸部腫瘍学の手術にすべて通暁しておられる数少ない耳鼻咽喉科医の一人である.一覧してまず感じたことは,図がきわめて綺麗であることである.どの本でもそうだが,特に手術書は図が正確でしかも美しいと,ただ眺めているだけで楽しくなるものである.本書はまさにこれに相当する.さらに解説が簡にして要を得ており,しかも基本的事項が余さず記されている.初心者にとって親切さに溢れた本と言える.また,本書は手術解剖に重点が置かれている.冒頭に述べたように,手術は次のステップを考えながら行うべきであり,この思考の原点は手術解剖に帰する.この点で意を充分尽くしたものである.しかも要所要所に必要な項目が,あるいは図,表で,あるいは珠玉の文章で表現されている.これもまた初心者が自学自習するのに大いに役立つであろう.
まえがきにも述べておられるが,氏はこの本の執筆に際し,偏見を避けるため文献をすべて渉猟した由である.したがって,この本に書かれたことはきわめて妥当性を持つもので,初心者にとっては良き入門書であり,中堅以上の耳鼻科医にとっては,自己を顧みる絶好の鏡と言えよう.
以上,私の感想を述べて序とした.若き医師諸君が本書によって基本手技を体得し,その上で独創を目指し輝かしい未来を迎えることを祈って止まない.
1989年9月
舩坂宗太郎