序
Historia quoquo modo scripta delectat. PLINIUS MINOR, 61〜113.
(歴史はどんな風に書かれようとも人を悦ばす.)
ヨーロッパ人にとって,歴史は教養のひとつである.実際,彼らと話をしていると,1066年にGUILLAUME DE NORMANDIEがブリテン島に侵入し,Hastingsの戦いでHAROLD王を敗り,WILLIAM the Conquerorとして英国現王朝の基を築いたとか,1789年7月14日に市民の手によってBastille要塞が破られ,フランス革命の口火が切られたとか,1815年6月18日にWaterlooの決戦でNAPOLEONが敗れ,彼の100日天下が終ったとか,すらすらでてくるのである.
こういう一般教養としての歴史は,社会人,文化人,国際人としての医師,ことに国際的交流の多い脳神経外科医には必要ではなかろうか.とりわけ,自らの専門である脳神経外科の歴史に関する知識は,常識として身につけているべきであろう.THOMAS CARLYLE(1795-1881)は歴史とは無数の伝記のエッセンスをしるしたものだと書いている.この小史も多数の脳神経外科医や神経科学者たちの事績をつづる形になった.それも「よしのずいから天井のぞく」風の筆者の視野でまとめたものであることを御諒恕願いたい.
本書は,日本脳神経外科学会の依頼により作った卒後研修用サウンドスライド用原稿と,それをスタンダードーマッキンタイヤ社ならびに中外製薬の協力により1988年8月に小冊子としてまとめたものに,大幅に加筆してClinical Neuroscience誌に連載した「脳神経外科の歴史」の稿本を基盤としている.意に満たぬところは多々あるが,臨床忽忽の間に書き上げたものとて,読者の寛恕を伏して請う次第である.
Wie wenig von dem Geschehenen ist geschrieben worden, wie wenig von dem geschriebenen gerettet! Die Literatur ist von Haus an fragmentarisch, Sie enthalt nur Denkmale des menschlichen Geistes, insofern sie in Schriften verfasst und zuletzt ubrig geblieben sind.
JOHANN WOLFGANG VON GOETHE, 1749〜1832.
Maximen und Reflexionen 267.
(出来事のうちでも書かれているものはなんと僅かなことか,その書かれたものでも後世に残っているのはなんと少いことか.文献というものは元来断片的なものである.それは文字にされてなんとか残った人間の精神活動の記念碑を含んでいるにすぎない.)
1995年9月
佐野圭司