序
肝臓の生理,生化学に関する知見は,目覚ましい進歩を遂げつつある分子生物学的な手法の導入によって増加の一途をたどっている.本書は肝病態の発現および肝病態にともなって出現するさまざまな症状,徴候の発現が肝臓の生理,生化学,免疫学,肝炎ウイルスに関する最近の知見を基盤にしてどのように理解されているかをわかりやすく解説することを目標に編纂された.
肝の病態の発現は外的あるいは内的要因による肝細胞の死,肝細胞死に続発する肝細胞の再生と間質における線維増生を基盤に成り立っている.これらの事象が制御された形で起きている限り,生体の防御反応としてホメオスターシス維持に重要な役割を演じている生理的な反応であり,これらの事象が制御不能になったとき肝の病態は発現すると考えられる.本書では外的要因としてのウイルス,アルコール,薬物を,また,これらの侵襲に対する生体の反応としての細胞死,細胞の再生,線維化を取り上げた.わが国では外的要因としての肝炎ウイルスの占める役割は大きく,肝炎ウイルスに関する知見を除いて細胞死,細胞の再生,線維化について理解することは困難である.また,肝炎ウイルスの遺伝子産物は肝細胞転写因子との相互作用を介して肝発癌に関わっていることも明らかにされている.ウイルスによって惹起された肝の炎症も最終的には肝硬変,肝発癌という形で終結するとしても,私達臨床家はその過程に介入することによって肝硬変という望ましくない結末を抑止することがその役目と考える.このような観点から本書では治療も取り上げた.また,肝免疫は現在発展途上の領域である.肝免疫は単に肝炎発症のエフェクターとしての役割ではなく,肝移植の普及により生体の免疫学的ホメオスターシスにおける肝臓の役割が次第に明らかにされるとともに注目を集めている.
肝炎に伴って起きてくるさまざまな生体反応,肝病態でみられる黄疸,胆汁うっ滞,肝硬変でみられるさまざまな合併症に関する生理学的,分子生物学的理解は日常臨床にきわめて重要である.特に近年目覚ましい進歩を遂げているのは肝細胞による物質輸送の分子生物学であり,さまざまなキャリアが同定され私達の肝病態に関する理解は一段と深みを増している.
本書が,分子生物学の進歩を基盤にした最近の目覚ましい生理学,生化学,免疫学の進歩を踏まえて肝の病態発現のメカニズムを理解する一助となれば幸甚である.また,ご多忙にも関わらず快くご執筆をお引き受けいただいた諸兄姉,本書を刊行するにあたってご協力いただいた秀島悟氏をはじめ中外医学社の諸兄姉に深甚の感謝を申し上げる.
2002年10月
東京慈恵会医科大学内科学講座・消化器肝臓内科
戸田 剛太郎