序
高血圧は脳血管障害や腎臓病,心臓病などの臓器障害を合併し,わが国の国民死亡原因の半数以上を占める基礎疾患であった.しかし,この20年にわたる食生活を中心としたライフスタイルの改善と降圧療法の進歩と普及により,その中でも重要な位置を占めていた脳卒中がまず著しく減少したことは大変嬉ばしいことである.ところが,わが国においては3000万人以上の方が高血圧であると指摘されている一方,高血圧症として医療機関を受診した患者数は厚生省の1996年度の統計によると749万人と報告されている.つまり,高血圧症は受診患者数として2位の糖尿病患者数(217万人)より3倍を越える多数を占めているが,それでも高血圧患者全体の中で,治療を受けている患者数は4分の1に過ぎないことを示しており,今後は高血圧がそれほど重症でない患者の血圧をコントロールし,臓器障害を予防するあるいは進行を抑制するような診療のすすめ方が,一般の臨床医の取り組むべき課題として社会的にも広く求められている.
このような状況にあるわが国の高血圧の診療において,この領域で第一線で御活躍されている芦田映直先生が,「今日の高血圧診療」を出版されましたことは,まさに時宜をえたものであるといえる.さらに,芦田先生は高血圧の成因について著名な研究業績をあげられたうえで,東京大学医学部附属病院,三井記念病院,米国Maryland大学医学部,国立循環器病センターを経て,私共の恩師である藤井潤先生が率いられる朝日生命成人病研究所の循環器科部長になられるまで,幅広い視点から豊富な臨床経験を積まれるとともに,得られた知見を科学的に分析する卓越した能力を兼ね備えられた素晴らしい臨床医でもある.先生が長年にわたって蓄えられた経験を基に,高血圧の病態生理から疫学そして臓器障害の起こり方,さらには治療のすすめ方と降圧薬の使い分けなど,系統的にきわめて理解しやすく,しかもお一人で全てを解説された本書は,医学雑誌での特集企画とは異なり,日常臨床に活用できる知識を最も体系的にしかも効率的に習得できる教科書でもあると思う.
解説書としてはじめから通読されて今日の高血圧診療についての指針をとらえられても,あるいは臨床で疑問を感じられたときに,各項目毎に参照いただく使い方をされても充分にお役に立てるものと確信している.芦田先生の御経験と文献に基づいたエビデンスとしての豊富なデータが先生方の日常臨床に生かされればこの上なく幸甚である.
2000年2月
国立国際医療センター病院長 矢崎義雄
はじめに
高血圧は非常にありふれた疾患であるが,放置すればさまざまな臓器障害,合併症を引き起こす.近年の患者教育や降圧治療の進歩により,心血管系合併症による死亡率は減少してきた.高血圧の大部分を占める本態性高血圧は,病態解明への研究が進んでいるが,未解決の問題が多数残されている.したがって,現時点では,本態性高血圧の治療は原因療法ではないが,病態に応じた治療を,長期にわたって行う必要がある.
高血圧はそれ自体が直接の死因になるのではなくて,予後を決定するのは心血管系疾患の合併である.血圧は下がっても,心血管系の疾患が予防できなければ,治療の目的を達したことにはならない.
最近の我が国の年齢階級別にみた高血圧の受療率をみると,40歳代後半から急激に増加している.また高齢者でも血圧が高いほど心血管系合併症の多いことが明らかになり,高齢者高血圧に対しても積極的に降圧薬療法が行われるようになった.
高血圧はすべての医師が関わってくる頻度の多い疾患である.また降圧薬は種類が多く,個々の患者の病態,合併症,禁忌などを考慮して選択する必要がある.本書の執筆にあたっては,最近改訂された米国やWHO/ISHの高血圧ガイドライン,老年者高血圧治療ガイドラインなどにそって解説した.またできる限り内外の研究成果を参考にし,論拠を示しながら筆を進めた.本書が,高血圧という最も頻度の高い疾患をもっている多くの患者を診療している人々にとって,興味深くまた診療のお役に立つことを願う次第である.
この本が出版の運びとなったのは,中外医学社の荻野邦義氏のお陰であり,心から感謝する.
2000年2月
著 者