はじめに
19世紀末を現代の目から眺めると,ことさら輝かしい時代だ.日本も開国すると同時に数百年来の封建制度から近代国家へ変貌を遂げた.その頃世界中で,経済・思想・学問体系を中心に,市民への開放が堰を切ったように進んで行った.続く20世紀は大衆の世紀と呼ばれる.医学分野でも病院の診療現場から改革が次々と生まれた.神経学の分野では,フランスのパリ,Salpêtrière(サルペトリエール)病院でProfesseur Jean-Martin Charcot(1825-1893)が,診療・研究・教育体制において現代的な臨床神経学を圧倒的な速度で築き上げた1).
徹底した観察に基づく神経病理学と臨床像の統合により,多発性硬化症や筋萎縮性側索硬化症などの疾患概念を確立させた業績は誰もが承認するところである.一方,晩年には機能性神経障害や催眠の解剖学的根拠を探求したが志半ばで亡くなった.現在もこれらの基盤となる脳機能はまだ解明されておらず,この分野へのCharcot(シャルコー)の功績には批判がつきまとう.
Charcotは新しい教育法の開発にも取り組んだ.主に金曜日に行われた系統講義の他に,多くの患者さんに協力を仰ぎゲストとして参加させた臨床講義も行っていた.臨床講義は火曜日に行われていたため,火曜講義Leçons du mardiと呼ばれた.新しい教育に惹かれて世界各地から若手医師が集まり,その中には後に20世紀を席巻する精神分析医フロイトSigmund Freudや,日本の三浦謹之助もいた2).
実際の臨床を再現するため,火曜講義では即興性が重視され,レジメや正確な記録に乏しい.しかし一部は,1887年から1888年の第1巻,1888年から1889年の第2巻として,若手医師Emmery Blin,Jean-Baptiste Charcot,Henri Colinらによる講義ノートが出版され,後世に残された3,4).Charcotの躍動感あふれる一言一句が書き留められ,時にト書きで聴講者たちの戸惑いや緊張が解けた笑いなども記録されている.この1887年から1889年という年代のパリでは,エッフェル塔が建設中であった.景観も価値観も全てが激動の時代である.
この講義ノートはフロイトSigmund FreudとMax Kahaneがドイツ語に翻訳し5),それを日本では三浦の後輩である佐藤恒丸が明治期のうちに翻訳している6).この日本語訳は1900年から東京醫事新誌での連載に着手されたもの7,8)というから船旅の時代にそのスピード感に驚く.
Charcotは,臨床神経学という叡智を医学で独占するのではなく,広く文化芸術・他分野の学問へも影響を及ぼすことを理想とし,火曜講義の聴講を一般にも開放した.誰もが神経機能について学び,議論する機会を拓こうとした.さまざまな国から集った医師に混じって俳優,作家,詩人,文学者,政治家など多岐に渡るバックグラウンドを持つ者たちが火曜講義を聴講していた.この斬新な試みも機能性神経障害や催眠の複雑な理論に対する疑念とあいまって,患者さんを好奇の目にさらしたとして時に批判の的となる.だがCharcotの理念に立ち返ると,臨床神経学の叡智に,興味を持った誰もがアクセスできる環境を整え,その知恵を皆で分かち合って異分野でも活用していい.
最近古本屋で,佐藤恒丸による火曜講義の日本語訳を偶然手に入れてしまった.抜群に面白い.こんなに面白い本が歴史に埋もれ,閉ざされていてよいものか.19世紀の白熱教室を世に再び問いかけてみたいと思った.実は佐藤恒丸の火曜講義日本語訳は,パブリックドメインとして国立国会図書館デジタルコレクションで誰もがどこからでも読める.手書きノートである1887年から1888年の初版ファクシミリ版も,初めから印字出版された1888年から1889年の第2巻も,フロイトらによるドイツ語版も,各国の国立図書館や大学図書館などで読める.Charcotが夢見たように,知へのアクセスはすでに万人に開かれている.筆者は神経内科医であると同時に詩人の端くれでもある.Charcotが火曜講義を文筆家にも開放してくれたという厚意に心を預け,詩人としての異分野コミュニケーションも交えて,火曜講義からとびきりCharcotらしい講義について,恒丸版とフランス語原本を参照し,現代語訳で甦らせたい.読者の方々に世紀末火曜日に毎週繰り広げられた知的冒険を追体験していただきたい.
本書ではいずれも名の知れた大御所の先生方に言及するが,敬称略とした.先生方教授方へのリスペクトは片時も忘れずに記名していると添えたい.カギカッコ内のCharcotの言葉は恒丸版もしくはフランス語原本に忠実に従った.地文は講義ノートのト書きを参考にしつつ,筆者による補足的創作とした.中外医学社の内規に従い,医師名は基本的にその人物が所属する母語での記載とした.医療界に限らず広く知られていたり邦訳著書のある人物や有名な文豪に関しては,初回以外カタカナ表記とした.
文献
1) Goetz CG, et al. Charcot, Constructing Neurology. NY: Oxford University Press; 1995.
2) 三浦義彰.Jean-Martin Charcotと三浦謹之助.II.三浦謹之助の生涯.臨床神経.1993; 33: 1255-8.
3) Policlinique Notes de cours de MM. Blin, Charcot, Henri Colin. Professeur Charcot, Leçons du mardi à la Salpêtrière. 1887-1888. Paris: Adrien Delahaye et Émile Lecrosnier; 1887.
4) Policlinique Notes de cours de MM. Blin, Charcot, Henri Colin. Professeur Charcot, Leçons du mardi à la Salpêtrière. 1888-1889. Paris: Lecrosnier & Babé; 1889.
5) Poliklinische Vorträge von Prof. JM Charcot. 1 Bd. Schuljahr 1887/88 übersetzt von Freud S, 2 Bd. Schuljahr 1888/89 übersetzt von Kahane M. Leipzig und Wien: Franz Deuticke; 1892.
6) 佐藤恒丸訳.沙禄可博士神経病臨床講義.前篇上,下,後篇.東京:東京醫事新誌局;明治39-44年(1906-1911).
7) 岩田 誠.I.神経領域の100年.2.神経学の伝統―フランスと日本―.日本内科学会雑誌2002;91: 21-4.
8) 江口重幸.シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る.東京:勉誠出版;2007.