序文
成人の先天性心疾患が年毎に増加している.東京女子医科大学の心臓血圧研究所病院に入院した成人先天性心疾患の患者数は,1980年代に比べて1990年代には40%増加している.その疾患別の内訳では,チアノーゼ性の複雑心奇形の手術後例の増加が目立つ.即ち,Fallot四徴症極型のRastelli手術後,三尖弁閉鎖や単心室のFontan手術後,完全大血管転位のMustard手術後などの20歳代の成人が,conduit狭窄,不整脈,心不全,心内血栓,細菌性心内膜炎など,様々な問題を生じて診断と治療のために入院してくる.これらの患者の多くは1970年代に幼少児期に手術を受け,幸い生存して成人に達したものの,こうした様々な問題を抱えて治療が必要となったものである.
これらの手術後心奇形は医学的に全く新しい疾患であり,これに対処する内科医,小児科医,外科医はこれら新しい疾患の理解と対応に苦慮している.例えば,Fontan手術後はFontan circulationと呼ばれる右室なしの肺循環となる.1970年以前にはFontan circulationは存在しなかった.Fontan手術後の患者が不整脈,心不全,心内血栓,妊娠と出産など,様々な問題を抱えて医師を訪れる時,医師は現在の医学がFontan circulationを十分理解していないことに気づいて愕然とするのである.しかも問題をもつ患者は待ったなしで,医療を必要としている.
ここ10年来,欧米では成人先天性心疾患の研究が盛んになった.英国のSomerville,米国のPerloffなど内科出身の成人先天性心疾患の専門家が活躍しており,米国の心臓病学の2学会(AHA,ACC)ではくり返し成人先天性心疾患をシンポジウムやセミナーで取り上げてきた.カナダでは1996年に成人先天性心疾患のシンポジウムを開き,成人先天性心疾患の診療にあたるセンターを地域毎に確立し,1998年には成人先天性心疾患の診療ガイドラインを発表した.
我が国でも門間が班長で成人先天性心疾患の日本循環器学会ガイドライン作成班がつくられ,これを機会に1998年より成人先天性心疾患の研究会が発足した.この研究会は毎年1月に小児科,内科,外科,産婦人科の150人以上の医師が集まり,1日熱心な発表と討論を行い,新しい知識の吸収につとめている.日本循環器学会のガイドラインは2000年に発表され,そのダイジェスト版も完成している.
本書は日本循環器学会のガイドライン作成班の班員と協力員で,ガイドラインを更に詳しく解説したものである.カナダのガイドラインの日本語訳も付けてある.この日本語訳は訳者の1人,丹羽博士が成人先天性心疾患の北米での研究・留学中に交渉して実現した.何れにも現時点での成人先天性心疾患に関する知識が盛り込まれており,本書が日常診療に即時に役に立つことを期待している.
2001年9月
女子医大心研研究室にて 門間記す