発刊にあたり
本書「泣く子も黙る感染対策」は,感染症を様々な角度から学ぶことを目指す多彩なコンテンツで知られる『J-IDEO』誌に,2017年3月創刊号から約5年にわたり同タイトルで連載した記事に加筆・修正を加えたものである.本書は主に医療機関で行う感染対策の解説書だが,系統的な学習のための教科書というよりは,筆者が興味を抱き,重要だと考えたさまざまな対策を取り上げた「詰め合わせ」本である.特に最後の3項は,2020年に国内流行が始まった新型コロナへの対応を踏まえて執筆した.
では,本書のタイトルである泣く子も黙る感染対策とは何か.完全理論武装したアプローチか,それとも相手に負けない泣き落とし戦略か.泣く子も黙る感染対策とは,感染対策チームが到達したいと考える理想的な未来―例えば,誰も見ていなくても全職員の手指衛生実施率が常に100%に近い,薬剤耐性菌の新規獲得例が減少を続けている,医療器具関連感染がめったに起こらないなど―に向かう道筋を俯瞰するフレームワーク,それを構成する多面的戦略,それを支える科学的根拠,それを推進するコミュニケーションとリーダーシップと医療機関を取り巻くコンテキストを反映した対策である.
医療機関で実効性のある感染対策を推進することは,アウトカムの改善に対する外的動機づけが乏しい現在の日本では容易なことではない.とはいえ,理想的な未来について具体的なイメージとプランを持つことは,次の一歩をどの方向に向かって,どのように踏み出すか決定するためには不可欠である.本書では,筆者が到達を目指す理想と,それを実現するために選択する感染対策を紹介している.本書で取り上げた対策は執筆当時の科学的知見に基づいているが,すべての医療機関で必要とは限らないし,実行の仕方は千差万別である.ぜひ感染対策チームでの議論のネタにしていただきたい.読者の皆様に,自分はこう考える,自分ならこうしたい,と考えていただけるのも筆者としては嬉しい限りである.
発刊にあたり,本書の執筆につながる連載の機会を提供してくださった岩田健太郎氏,編集に携わってくださった中外医学社の岩松宏典氏,佐渡眞歩氏,牧田里紗氏に感謝を申し上げる.表紙は漫画家の石川雅之氏に描いていただいた.『もやしもん』ファンとしては感激の一言に尽きる.人生何が起こるかわからない.生きていてよかった.読者の皆様には,本書を手に取っていただいたことに心からお礼を申し上げる.いつかお目にかかれることを楽しみにしている.
2023年7月
坂本史衣