誰も考えようとしなかった癌の医療経済
國頭英夫 著 / 田中司朗 監修
A5判 240頁
定価3,960円(本体3,600円 + 税)
ISBN978-4-498-14846-8
2023年07月発行
在庫あり
誰も考えようとしなかった癌の医療経済
國頭英夫 著 / 田中司朗 監修
A5判 240頁
定価3,960円(本体3,600円 + 税)
ISBN978-4-498-14846-8
2023年07月発行
在庫あり
m3.com連載「Cost, Value and Value trials」を書籍化
医師にとっては「医療経済」という言葉を縁遠いものと感じるかもしれない.実際,薬価がいくら高額になっても医師の給与に影響せず,患者にすら影響は少ない.しかし「命のためなら無限にコストを注ぎ込む」ことは結局のところ次世代の犠牲を強いることになる.m3.comの人気連載「Cost, Value and Value trials」を書籍化した本書では,医療の費用対効果分析やその問題点について詳説する.
略歴
國頭英夫(くにとう・ひでお)
昭和36年鳥取県米子市生まれ.昭和61年東京大学医学部卒.横浜市立市民病院呼吸器科・国立がんセンター中央病院内科・三井記念病院呼吸器内科などを経て2014年から日本赤十字社医療センター化学療法科部長.Japanese Journal of Clinical Oncology誌編集長,一般社団法人SATOMI臨床研究プロジェクト代表理事,日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)医療経済評価小委員会委員長.
著書に 「誰も教えてくれなかった癌臨床試験の正しい解釈」(中外医学社),「死にゆく患者(ひと)と,どう話すか」(医学書院),「医者とはどういう職業か」(幻冬舎新書),「医学の勝利が国家を滅ぼす」(新潮新書)他多数.
田中司朗(たなか・しろう)
昭和54年大阪府吹田市生まれ.平成15年東京大学医学部卒.東京大学疫学・生物統計学教室で学位取得後,京都大学医学部附属病院探索医療センターを経て,2017年より京都大学大学院医学研究科臨床統計学講座特定教授.日本小児がん研究グループ(JCCG)生物統計副委員長,日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)運営委員,医療経済評価小委員会委員.
著書に 「医学のための因果推論」(朝倉書店),「短期集中! オオサンショウウオ先生の医療統計セミナー」(羊土社),「医学のためのサンプルサイズ設計」(京都大学学術出版会)他多数.
はじめに
私は肺癌治療の専門家、ということになっていますが、実のところ肺癌に関する書籍を出したことはありません。医学系の出版社から出した本は、『誰も教えてくれなかった癌臨床試験の正しい解釈』(中外医学社、2011年)、『誰も教えてくれなかった癌臨床試験の正しい作法』(中外医学社、2016年)、『死にゆく患者(ひと)とどう話すか』(医学書院、2016年)などですが、それぞれ生物統計学・研究倫理・コミュニケーション論に関することで、臨床医の「素人芸」みたいなものです。「素人芸」なのですから、「本職」の先生方を共著や監修の形で引き込んでいます。
そして、今回の本もまた医療経済に関する「素人芸」で、「本職」の専門家である田中司朗先生に無理をお願いして監修していただきました。どうしてこういう「素人芸」をわざわざ世の中に出すのか、について多少とも言訳をしておきたいと思います。
臨床医が患者さんを診るにあたって、いくつかの「必修項目」があります。それは例えば、生物統計で、我々は最近の流行り言葉を使えば「エビデンスに基づいて」治療を行なっていくのですが、その「エビデンス」なるものはいかにして生まれたのか、その根拠となるデータは適切に作られたのかを知らねば、誤った治療をしてしまうことになりかねません。加えて、私自身、臨床研究に携ってきました。であれば、その方法論についての最低限の知識は必須で、全くの手ぶらで「本職」の生物統計家のおっしゃる通り、では、自分のアイデアを伝えることすらできません。また、何をやってもいいのかいけないのか、という基本的な事項を倫理の専門家に一任して後は知らん顔、ではさすがにまずいでしょう。
また一方、癌を専門とする以上(そうでなくても、ですが)、患者さんは一定の割合で亡くなります。私自身、ターミナルケアが好きだという訳ではありませんが、自らが治療した患者さんの人生の終わりを見届け、不要な苦痛がないように取り計らうのは当然の義務だと考えています。その際、患者さんやご家族と「話」ができないと、それこそ話になりません。ですからコミュニケーションもまた「必修科目」なのです。
このような「必修科目」を、現代の医療は「専門科目」にしてしまって、一般の医者は「自分たちの仕事ではない」と専門家に丸投げしているのではないか、というのが私の抱く危機意識です。その結果、医学は、もしくは医療はどんどん断片化して、我々は人間を相手にするのではなくデータの切れっ端と悪戦苦闘しているように、私は思うのです。
そして今回の「素人芸」は、医療経済です。これこそ、臨床医が「自分たちには関係のないことで、考える必要はない、専門家に任せておくべきだ」と、ずっと忌避していた領域です。確かに、癌治療をはじめとして薬の値段は指数関数的に高くなり、医療費は天井知らずに上がっても、我々の給料に関係はしませんし、それどころか、高額療養費制度によって、患者さんの負担も変わりません。ならば我々は、今までと同じように、眼前の患者に全神経を集中すべきなのでしょうか? 「命は地球よりも重い」のだから、「金の話なんて、卑しいからするな」で済ませていればいいのでしょうか?
私にはどうしてもそうとは思えません。我々が今、その費用を負担していないのだとすれば、いずれいつかどこかで誰かが必ずそのツケを払わねばなりません。どう考えても、それは我々の子や孫の世代です。まさか皆さん、「コストはいずれどこかに消えてくれる」などとお考えではないでしょう。「お金のこと」を考えられず、ただひたすら使いまくる人間は、社会ではロクデナシもしくはただの阿呆とみなされます。どうして我々だけがその例外でいられるのでしょう。「国がなんとかしてくれる」なんて、きょうび親の脛をかじるドラ息子でも言わないような能天気な台詞ではありませんか。
我々は、金のことを考えねばなりません。それを心配せねばなりません。そして、無駄を削らなければなりません。この「無駄」とは、国会議員の数を減らせなんて「他人の無駄」ではなく、我々自身の無駄です。そのためにも、何が無駄で何が必要かを知らねばなりません。「全部必要だ、みんな欲しい」なんて駄々っ子のようなことを言っている場合ではないのです。
本書は、2021年9月から2022年11月まで、医師向けポータルサイト「m3.com」に連載した“Cost, Value and Value trials”をまとめ、加筆修正したものです。この間に、私自身も所属する癌研究組織「日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)」では、2022年3月に医療経済評価小委員会が設立され、6月には第1回小委員会が開かれました。この第1回会議では、日本総合研究所主席研究員の西沢和彦先生に、日本の医療保険制度について講義していただきました。出席者からは「目から鱗」などと、非常に好評でしたが、喜んでいる場合ではありません。我々は皆、保険医療を行っているはずなのに、その仕組みや、現況について全く無知だったのです。どころか、我々は、「医療費」とは何を指すのか、すらもこの時教えていただいて初めて知った有様です。
道は遠く、もう間に合わないかもしれません。日本の保険医療は破綻寸前で、財政そのものが崩壊の一歩手前です。「一回潰れるまで分からないのだし、潰れたらみんな気がつくよ」などと達観したように「忠告」してくださる先輩もいますが、「潰れた」時に我々が困るのは自業自得として、次の世代・次の次の世代を巻き込むのは避けねばなりません。我々にも、そのくらいの責任感や倫理観はあるはずです。
本書をまとめるにあたり、多くの方にご協力いただきました。エムスリー株式会社の高橋直純さんと橋本佳子さん、および中外医学社の岩松さんと小川さん、そして桑山さんに厚く御礼申し上げます。また、この場を借りて、西沢和彦先生に改めて深く感謝いたします。
そして、ご多忙のところ監修としてこの「素人芸」をまとめるのにご指導いただいた京都大学大学院医学研究科臨床統計学講座特定教授の田中司朗先生、誠にありがとうございました。
2023年4月
日本赤十字社医療センター化学療法科
國頭英夫
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監修の言葉:財政健全化から価値の創出へ
主要先進国の間で、医療保険制度の設計とその持続可能性が最重要課題のひとつと認識されている。そして少子高齢化のトップランナーを走る日本は、公的な医療保険制度のモデルケースとして注目されている。1年あたりの国民医療費は、1990年から2020年まで10年おきにみると21兆円、30兆円、37兆円、43兆円と増え続けており、増加分の内訳でいえば高齢化の影響と医療の高度化が大部分を占めている。薬剤費は2割を超える程度を推移しており、それは本書の重要な登場人物のひとりである製薬企業の収入になる。主要先進国の懸念は以下のようなものである。医療費がこのペースで増加したとしたら、いつまで現行の保険で賄うことができるのだろうか。
国民医療費をコントロールすること自体は難しくない。その必要があるならば政府は医療保険制度を改革することができるし、診療報酬や薬価を決める権利だってある。この問題を難解なものにしているのは、どのような状態がコントロールされているといえるのかわからないことだ。高額医薬品の代名詞となったオプジーボⓇは、メラノーマだけが保険適用だった2014年には100mgあたり73万円だったが、肺癌に適用拡大された3年後には1/2に値下げがなされ、今の薬価は当初の1/5となった。適正価格がいくらだったのか誰に決められよう。医薬品の特徴は、原材料費より研究開発への投資の方が桁違いに大きいという点である。つまり、オプジーボのように類似薬がない場合の薬価は、原価計算方式で決められるが、研究開発投資を含む原価とはなにかを定義すること自体が困難である。かといって、患者からの需要、製薬企業の利益と薬剤供給、そして国の財政の均衡点となる薬価がいくらかを求めるための方程式は、薬価算定の段階で立てようがない。ひとつひとつの医薬品ではなく、社会保障予算といったマクロなレベルで議論するときもある。そういうときは大抵、財政健全化という目標が掲げられる。国民医療費はすでに保険料・患者負担で支払うことはできず、40%は国・地方の公庫が負担している。だから医療費を抑制すべきではないか、というのが財務省の主張である。しかし、逆説的だがなんらかの財源がある以上、現状がコントロールを逸脱しているとは言い難いだろう。
「医学の勝利が国家を滅ぼす」の著者による本書には、医療経済問題への処方箋のいくつかが示されている。著者の里見清一こと國頭英夫氏は、日本赤十字社医療センターで癌の診療に携わる現役の内科医であり、20年以上にわたって癌臨床試験をリードしてきた研究者として知られている。どうすれば国民医療費をコントロールできるのかと発想するのではなく、患者にとっての医療の価値(value)とはなにかを再考することから議論は始まる。分子標的薬剤、免疫療法剤、G-CSFなどを扱った話題の研究が紹介され、これらの薬剤の価値を吟味し、高めるためどのようなアプローチがあり得るかが論じられる。本書では、著者が専門としているということもあって臨床試験が多数取り上げられていて、“value trial”という新しいコンセプトが医師向けの旗印として掲げられている。ただし医療提供者・国・製薬企業が知っておくべき対策はそれだけではない。投与量・投与期間を減らすための工夫、バイオシミラーの普及、フォーミュラリー(医薬品使用方針)、医師・患者間のコミュニケーション、診療ガイドラインへの薬価表の掲載など、広範なアプローチがきわめて具体的に提案されている。
医薬品や診療行為ひとつひとつの価値について、仮に国民の合意が得られたとしたら、医療財政を健全化することは難しくはない。コストを考慮した上で価値が低いものは公的医療保険から支払わなければよいのだ。本書によると世の中の仕組みがそうでない理由のひとつは統計学らしい。「癌に対する新薬の承認は、臨床的な価値よりもp値によってなされることが多すぎる」とASCO Educational Bookに書かれているそうだ。生物統計家は科学的に厳格な臨床試験が行われることを目指してきたつもりだったが、それが本来多元的である医療の価値を見失わせてきたという一面があったとしたら、生物統計家のひとりである私にとって遺憾なことである。
本書は皮肉たっぷりのスタイルで書かれており、ときに舌鋒が鋭くなるからあえて言うが、製薬企業を医療費負担増の悪玉と考えるべきではない。一国の医療システムにおいて、政府(保険者)・被保険者・医療提供者・製薬企業は固有の役割を担っており、医療制度や規制を通じてそれぞれの行動を決めているのは政府である。経営戦略の泰斗であるMichael Porter教授は、著書「医療戦略の本質」において、価値を向上させる競争を可能にすることが政府のもっとも重要な役割だと主張する。一方で企業サイドの問題として、企業間の競争が、イノベーションではなくゼロ・サム競争に向かっていること、営業努力が患者にとっての価値よりも販売量の方に向けられていること、疾患のケアサイクル全体に着目するのではなく、患者にとって一部のメリットを選んで強調していること、という3つが指摘されている。これらはどれも薬価の高騰を直接もたらすものではない。ちなみに「医療戦略の本質」によると医療提供者の取るべき戦略はひとつしかない。診療実績に基づいて価値の高い医療を提供しているかどうかを評価し、競争を通じてさらに価値を高めるという好循環を目指すべき、だそうだ。
日本製薬工業協会(製薬協)や米国研究製薬工業協会は、製薬企業の多くは日本への投資優先度を下げており、ドラッグロスにつながっていると日本政府に警鐘を鳴らしている。ドラッグロスとは欧米で承認された医薬品の7割が国内未承認という問題のことである。その理由のひとつは、オプジーボが契機になって行われた薬価制度の抜本改革と、それに伴う日本市場の魅力の低下だと製薬企業はいう。製薬協による「政策提言2023」の内容は、まずは医療の価値を問い直すべきという國頭英夫氏やPorter教授の主張と重なるものが多い。たとえばイノベーション創出のための提言として、医薬品の多元的な価値を企業が主体的に説明し、独立した第三者機関が妥当性を評価する新たな価値評価プロセスを導入すべきであり、特に薬価収載後の再算定が薬の価値を正しく反映した結果であるための仕組みが必要だと述べている。どうやら製薬企業は、PMDAによる承認審査や中医協に設置された費用対効果評価制度は時代遅れと考えているようだ。費用対効果分析の限界について、本書では30章にいくつかの例が示されている。
医療費負担の問題は、統計学と同じくらい医療業界で敬遠されがちな話題である。私は「医療をお金に換算すべきでない」と考えている方にこそ、一読を薦めたい。なぜなら本書は医療経済を金額ではなく価値で語っているからだ。
Value is not made of money, but a tender balance of expectation and longing.
―Barbara Kingsolver
2023年4月
京都大学大学院医学研究科 臨床統計学講座
田中司朗
目 次
Chapter 1 医薬品の費用対効果分析 総論
“Value”を重視した治療開発のために医師が考えるべきこと
Chapter 2 Value評価の潮流 その1
効果が大きくない薬ほど、「大規模試験」で高い薬価に?
Chapter 3 Value評価の潮流 その2
新薬の“benefit”を定量的に評価するには
Chapter 4 Value trialsの概念
ほぼ同等:「まぁまぁこのくらいでいいんじゃない?」
Chapter 5 Low-dose abiraterone
「投与法の工夫で高額薬も4分の1の量で十分な効果」
Chapter 6 Low-dose abirateroneに賛否両論
「低用量」の研究を巡る大論争
Chapter 7 Low-dose EGFR-TKI
「通常量」は治療に必要な量よりも高く設定されてしまっている可能性も
Chapter 8 経口薬の問題点 その1
経口分子標的薬とコカ・コーラの相互作用
Chapter 9 経口薬の問題点 その2
良好なadherenceに相関する唯一の因子は「臨床医とのコミュニケーション」
Chapter 10 低用量治療の位置づけ
低用量治療研究はあくまでも「研究」である
Chapter 11 低用量治療「研究」の目指すもの
「個々の患者に合わせて」のスローガンを「単なる念仏」にしないための検証
Chapter 12 術後化学療法の治療期間 総論
「術後治療」の欠点:張り合いがなく無駄が多い
Chapter 13 術後化学療法の治療期間 大腸癌
「5年生存率で0.4%の差」に意味はあるのか?
Chapter 14 乳癌術後治療の投与期間
「やらなくてもいい治療をしないようにする」努力
Chapter 15 非小細胞肺癌に対する術前術後治療
術前治療なら「効果」を判定できる、有効例には術後治療不要?
Chapter 16 切除可能非小細胞肺癌に対する
“adjuvant value trial”デザイン回帰不連続デザインはランダム化試験の代わりになるか
Chapter 17 Real world benefit その1 症例選択規準の緩和
オリンピック選手しか参加できない研究?
Chapter 18 Real world benefit その2 観察研究での外的妥当性検討
RCTのデータだけではまだ「仮承認」止まり?
Chapter 19 分子標的薬の中止研究
「一生飲み続けねばならない」薬なのか?
Chapter 20 免疫療法剤の中止研究
日本の臨床研究の真価が問われる
Chapter 21 G-CSFのvalue trials
誰のための骨髄抑制対策
Chapter 22 バイオシミラー
やっぱり「大体同じ」でいいじゃない?
Chapter 23 価格と効果の乖離 その1
高い新薬には「それだけのこと」があるのか?
Chapter 24 価格と効果の乖離 その2
効果が高くても低くても値段は高い
Chapter 25 価格と効果の乖離 その3
モノに見合う適正な価格を目指して
Chapter 26 外部からの規制によるコスト削減
「お上」の介入は是か非か
Chapter 27 Desperation oncology
「失うものは何もない」と考えてしまうと
Chapter 28 Desperation oncology対策 その1
「希望」と「無益」の狭間で医者も患者も悩む
Chapter 29 Desperation oncology対策 その2
貧乏人のどケチ大作戦
Chapter 30 費用対効果分析の問題点 その1
「比較」だけでは全体像は見えない
Chapter 31 費用対効果分析の問題点 その2
みんな等しく同じ「1年」なのか
Chapter 32 費用対効果分析の問題点 その3
それでもやはり「進歩」は「進歩」ではないのか
Chapter 33 なぜにコストのことを考えるのか
経済なき道徳は寝言である
監修の言葉:財政健全化から価値の創出へ〈田中司朗〉
索引
執筆者一覧
國頭英夫 日本赤十字社医療センター化学療法科部長 著
田中司朗 京都大学大学院医学研究科臨床統計学講座特定教授 監修
株式会社中外医学社 〒162-0805 東京都新宿区矢来町62 TEL 03-3268-2701/FAX 03-3268-2722
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