監修の言葉
長野広之先生は学生のころからよく知っています.2010年当時の大阪大学で,関西で(おそらく全国でも)最大規模の医学生を集めた勉強会が開かれた際にお招きいただき,大きな講堂で1日がかりの勉強会を皆で行ったことがありました.その主催者のひとりが長野君でした.そこから十数年がたち,こうして今でも親交を保ってくださっている彼からの友情と,また同じ専門領域で著者─監修者の関係で本書の執筆に関わることができる幸運に感謝します.
この原稿を書いている今は2022年,診断学領域においてSituativity(状況性)の概念の提唱から2年,Diagnostic Excellenceやダニエル・カーネマンらによるNoiseの概念が打ち出されて1年という,まさに診断学業界が大きく動いている時期です.状況性や不確実性の中において,しかしその中核に位置する診断プロセスの要素は依然,医師の思考であることは変わらないでしょう.
本書は,医師の診断思考におけるもっとも自然でエネルギー倹約性の高いプロセスのひとつであるPivot and Cluster Strategyを活用したCluster(鑑別診断リスト)の具体的な提示と言えます.認知診断理論としてはベイズ確率論,閾値モデル,およびメタ認知の概念を包含したものであり,また最近は件のカーネマンの文献でも扱われるDecision Hygiene(決定衛生と訳されるでしょうか)の戦略の観点からも,このようなリストの具体的提示は臨床的な効果が高いものと考えられます.本書ではこのような「似たもの疾患」が旧来より慣用されるmimicker(ミミッカー)としてリストアップされています.ミミッカーをリストアップしたのちに重要なことはそれぞれの疾患の「差分」の理解が重要で,具体的な鑑別ポイントは何か,というillness scriptの違いを理解することが鑑別上,次の要点となります.この点についても本書は表と詳細な長野先生の記述を通し,丁寧に説明が加えられています.この辺りの作りは,長野先生のこれまでの内科医としての研鑽の中で培われた真摯な姿勢が大変反映されていると感じます.また,作成の中で長野先生と相談しましたが,本書は若手医師向けの書籍ということを念頭に執筆され,そのため後輩向けの視点を大切にしたいという思いから作成されているため,そのような論調での記載をご理解いただけますと幸甚です.
最後に,本書の監修作業において忍耐強くお付き合いくださった中外医学社の宮崎雅弘様,桑山亜也様,皆様に心より感謝申し上げます.
本書が読者の皆様にとって明日からの診療に役に立ち,診断の質の向上に貢献することを心より願っています.
2022年11月
獨協医科大学 総合診療医学・総合診療科 教授
志水太郎
序文
臨床推論は掴みどころのないプロセスである.医師になりたての頃,上級医が診断に至る思考過程が全くわからなかった.疾患を勉強しても,自身でまた症候からその疾患を診断できるのか自信が持てなかった.「キーフレーズとミミッカー」.自分は今この2つを臨床推論の切り口として持っている.日々の臨床や臨床推論の勉強会,そしてケースを読む際などで診断に迷ったら,「この症例をキーフレーズ化するなら何なのか」「ミミッカーの視点で考えると正しい診断にたどり着けないか」を考えている.
キーフレーズとは「鑑別を絞るために適切に表現されたproblem」を指す.診療から得た病歴,身体所見,ラボデータといった情報を正しく医学言語化し,鑑別が絞りやすいように上手く選択し組み合わせることでキーフレーズを作成する.この作業を行うことで効率よく鑑別診断を絞り込むことができる.このキーフレーズについては「ジェネラリストのための内科診断キーフレーズ」(医学書院;2022年)で扱っているので,興味がある方は読んで頂きたい.
今回本書では,もう1つのミミッカーを扱っている.診療中に診断を俯瞰的に見直すのは難しい.その日の体調や現場の忙しさで論理的な考えができず,初めに思いついた診断から離れられない経験は誰でもしたことがあるのではないだろうか.しかし,初めに直観的に思いついた診断にはバイアスがかかっていることが多い.そこでミミッカーの考え方は,直観的な診断と分析的な診断を上手く組み合わせる方法である.直観的な診断のミミッカーとなる疾患を考えることで,労力少なく鑑別の漏れを減らすことができる.本書で扱っているミミッカー達は,筆者が臨床現場の経験や日々の勉強から集めてきたものである.本書で解説しているミミッカーの考え方が,皆様の診断力の向上につながれば幸いである.
最後に学生時代からお世話になりお忙しい中,本書籍を監修して頂いた志水太郎先生,これまで指導して頂いた天理よろづ相談所病院,洛和会丸太町病院の先生方,そして筆の遅い私を辛抱強く支えてくださった宮崎雅弘さん,本書を編集して頂いた桑山亜也さんなど中外医学社の皆様に心より感謝申し上げたい.
2022年11月
長野広之