巻頭言
脳神経外科の手術の修得のためには,たくさんの手術を現場で見なさいと言われてきました.師匠の技を見て考えて覚えるという,昔の職人芸の伝達と通じるところがあります.確かに多くの手術を見ることで,やって良いこと,いけないこと,学会などで見聞きしただけでは表に出ない部分や,手術のペース配分など一定の常識が形成されたと思います.また手術を見ながら,見事な手術の場合にはそれを模倣しようとし,難渋した手術の場合にはどうすれば良いのかを自分の頭でも考える事自体に大きな意味があると思います.
しかし医療の世界は日々進歩し,医療安全文化も成長し続けていますので,現代の若手が手術を始める際には,もう少し効率よく学ぶことができないかと常々思っていました.脳神経外科の初期の方々が,術野を直接のぞき込んで手術を修得していた頃と比較すると,我々の世代では既にビデオが普及しており,術後にビデオを編集したり,カンファレンスでビデオを供覧したりすることで,昔に比べると効率よく手術を修得することが可能となっています.最近ではコンピューターや画像技術が進歩し続けていますので,これらを活用しながら,シミュレーションを用いた言葉による教育で現代版の知識の伝達が可能となりました.
20世紀の末頃から3次元プリンターが普及し始め実体モデルが作られるようになりました.これを手術シミュレーションにも試してみましたが,出来上がったものを見て触れることはできても,変形したりする事ができず物足りなさを感じていました.必要な部分がもっと見えるように不要な部分を消したり,開頭範囲をいろいろと試したり,脳をリトラクトして変形したりする事を考えると,実体モデルよりもコンピューターの中で3次元を自由に扱えるようになった方がはるかに有用ではないかと漠然と考えておりました.保存場所に困らずに済むというメリットもあります.
2006年に東京大学の医療情報工学の小山博史教授からこのような画像ができましたと,とてもきれいな3次元融合画像の絵が1枚送られてきました.先述のコンピューターの中で自由に扱える脳立体モデルの開発にはこれが手がかりと考え,小山先生にご指導いただきながら当時大学院に入学したばかりの金太一先生に開発を担当してもらいました.当初は,カーナビ的な正確さよりも脳神経外科医が見て役に立つ地図を作成することを目標とし,サイエンスよりもアートを重視して,色使いなどにはとことん拘りました.その後,金先生は工学系研究科の先生方と連携を取りながら,さまざまなソフトウェア技術のtipsを開発し,3次元融合画像作成の技術を発展させました.
私どもの教室ではもう10年以上,難しい開頭手術についてはほぼ全ての症例で3次元融合画像を作成して術前検討に活用しており,その検討効果と教育効果を痛感しています.しかしながら3次元画像の作成には時間と手間がかかり,大学院生の研究目的で実施しているから何とか成り立っていたものの,多くの方々に御活用いただけるソフトの開発が待たれていました.また,顕微鏡手術の基本的手技であるtrans—sylvian approachをシミュレートするためには,前頭葉と側頭葉を分けることが必要ですが,当初はコンピューター上でこれができないことが大きな課題で,長らく解決の糸口がありませんでした.最近になってdeep learningなど機械学習の分野が急速に進歩し,これにより前頭葉と側頭葉を自動的に分けることが可能になりました.さまざまなtipsは特許も獲得し,AMEDの資金を得てソフトウェアも開発し,第2種の医療機器として販売されるに至りました.この方法の普及に関して,いよいよ機が熟したと考えています.
本書は,2017年4月から2021年3月まで48回に渡り,雑誌「CLINICAL NEUROSCIENCE」に連載した内容に見直しを加え,一部を修正し,一冊にまとめたものです.連載では毎回1つの疾患の手術を取り上げ,融合3次元画像を用いた手術シミュレーションと実際の術野の写真をご覧いただくようにしています.はじめに「症例提示」をして,「手術戦略のポイント」を記した後に,「融合3次元画像を用いた手術検討」で手術戦略を示し,最後に実際の「手術所見」を示しています.また,「Topics」として,解剖を中心とした関連事項の文献による考察を加えています.
本書が,脳神経外科診療に携わる実地臨床医家のみならず,学生,研修医,専門医試験受験者のお役に立つことを願っています.最後に,連載をサポートし,本社の刊行を実現してくださいました中外医学社編集部の皆さまに感謝の意を表します.
令和3年11月
齊藤延人
金 太一