救急診療のnew normal
New normalを直訳すると「新しい常態」となります.今回の新型コロナウイルス感染症によるパンデミックでよく取り上げられるようになった言葉ですが,意味としては社会に大きな変化が生じ,それ以前の状態に戻ることができず,新たな常識が定着することを指すようです.このように説明しても皆さんはあまりピンとこないですよね?
では,「今日から1週間スマホ(携帯電話)を一切見ないで生活してください」と言われたらどうですか? 現実味がないですか? では「今から24時間スマホには一切触れないでください」と言われたらどうですか? そんなの生活できない!仕事にならない!そもそもスマホのない生活なんて考えられないから1時間でも我慢できない!っていう人も多いと思います.それもそのはず,総務省の調べ(2016年現在)でも世代を通じてスマホの1日あたりの平均利用時間は82分と1時間を超えており,10代や20代になるとなんと2時間を超えます.つまりわれわれは起きている時間の10%以上をスマホに費やしていることになります.これだけ生活に密着して,身近なもの(1人に1台は当たり前)になるともう手放せないですよね.一昔前,少なくとも僕が中学生や高校生の頃には考えられなかった,まさに「新しい常態(New normal)」です.
では救急診療におけるnew normalとは何か? もし皆さんが今日の当直(救急勤務)に入る時に「今日は当直中,エコーを一切使うことができませんのでそのつもりで」と言われたらどうでしょうか? 「CT検査ができるなら全然問題ないよ!」と返事をするでしょうか? 僕はスマホではないですがたちまち不安になり,落ち着かなくなります.もしこの勤務中にショックの患者が来たら・・呼吸困難の患者が来たら・・,とずっとビクビクしていると思います.(もちろんスマホが1時間使えないと言われてもビクビクします.その間に妻から連絡があったらどうしよう,着信履歴がたくさん残っていたらなんて言い訳…じゃなくて説明しようって.)確かにCTは多くの情報を与えてくれて非常に便利ですが,救急外来ではそのCT検査室までの移動が困難な患者さんもたくさんいますし,そもそもCTで診断していたのでは手遅れとなる疾患・病態もあります.皆さんの中にも「よくわからんからとりあえずCT撮ろう」と検査室への移動中,あるいはCT撮影中に患者さんが心肺停止になって大慌てした経験がある人が結構いるのではないかと思います.さらに今では当たり前のように行われている肺にエコー,骨折にエコー,気管挿管にエコーなどは僕が研修医になった頃には誰もしていませんでした.近年このようなPoint—of—care ultrasound(POCUS)という概念が若い先生方を中心に(僕もその中の1人!と思いたい)急速に広まっているとはいえ,救急診療の画像検査の中心がCTやMRIであることに変わりなく,POCUSが救急診療のnew normalであると言うには程遠いかもしれません.それはPOCUSが救急の「新しい常態」として定着するためにはまだまだその概念,臨床への適応,教育などを含め広く普及していないことを意味しており,本書がその一助となることを願っています.そして今日も全国の研修病院で不安を抱えながら当直して救急診療を担ってくれている研修医の皆さんのお守り代わりに,少しでも役に立つことができたらこんな嬉しいことはありません.
2021年10月
福井県立病院救命救急センター 医長
瀬良 誠