序章 心の遺伝子とその解明に向けて
「人間の精神を科学的に解明できるか」,という命題は科学の究極の目的であり,多くの人々の興味を引いてきた.DNAの二重らせん構造を明らかにしたワトソンは,最近では「人間のすべての行動はDNAに書かれており,人間の運命も例外ではない」旨を公言しており,反対論はあるにせよ,一方の旗頭となってヒトゲノム計画の推進に一役買っている.
確かにヒトゲノムをすべて読みとり,少なくとも6万数千存在すると推定されているヒト遺伝子の構造を解読することは,遺伝病の診断や蛋白質の生理作用の解明には役立つことであろう.しかし単一遺伝子の変異がわかったところで,その変異が症状を引き起こすメカニズムがわからなければ,診断はできても最終的には治療できない,というジレンマに陥ることは目に見えている.私は数年前,以前いた研究所でこのことを痛感したことがある.皆さんも覚えているかもしれないが,1986年から1988年にかけてデュシャンヌ型筋ジストロフィーDMDの原因遺伝子が米国ハーバード大学のクンケルらによって,X染色体短腕p21に存在することが発見され,クローニングされた.これを機にリバースジェネティックスが全盛となり,以後数多くの遺伝疾患の原因遺伝子が解明されるようになったのである.当時私と同じ研究室にいた荒畑,杉田,また隣の研究室の小沢,埜中らは共同で,細心の注意をはらった抗体組織染色法を確立し,原因蛋白質ジストロフィンが骨格筋の細胞膜に存在することを初めて発見し,この手法は患者の診断法の最終手段として現在でも世界中で広く用いられるようになっている.また,ジストロフィン遺伝子が入手可能になり,遺伝子診断も簡便に行われるようになった.これは,どんな病気でも同じ事情だろう.
しかし,DMDは治っただろうか.どう治療すればいいのか,方向が見えただろうか.遺伝子発見から10年がたとうとしているが,残念ながら私は否定的な答しか口に出すことしかできない.治療できないならば,また治療で良化が期待できないならば,診断する意味がないではないかという議論さえ聞こえてくる.以前は,遺伝子診断は神の声という雰囲気であったが,現在では保因者が健康であるにもかかわらず疾患遺伝子を持っているため就職試験や職場で差別を受ける問題,遺伝子検査に伴うプライバシー保護の問題,患者の保険加入が拒否されることなど,遺伝子診断は純粋な科学の問題ではなく社会全体の問題に発展しつつある.これは,数年前には考えられなかったことである.
どうしてDMDの場合には,遺伝子発見が治療に結びつかなかったのだろうか.その原因の1つは,発症のメカニズムが判然としないためである.遺伝子が判明すればそれで仕事は終わりで,あとは何をやっても名誉は第一発見者にいってしまうという,従来の評価方法が研究方向を決めているためでもあろう.極言してしまえば,遺伝子の変異を明らかにすれば数年は食える,という風潮が若い研究者に蔓延していることは明らかなのである.遺伝子ハンティングが当人の名誉欲,出世欲に直結してしまった諸外国の科学界の現状は,1994年に起こったロックフェラー大学のレーダー研究室の毒入りコーヒー事件とその発展が如実に表している.実際は転写制御因子群をただ探しているだけの研究室での単なる恋愛事件の悲しい結末だったのかもしれないが,Nature誌に投稿した三十数人のポスドクの手紙にある研究室での高いtensionは,名誉欲そのものからきたものに違いない.
研究で一番大切なことは,なぜ遺伝子に変異が起こるとヒトは病気になるのか,という点を解明することである.DMD遺伝子産物が骨格筋で何を行っているのかさえわかっていないとは,何と情けないことなのだろう.せいぜい考えつくことは,ジストロフィン遺伝子をDMD細胞に導入した細胞内遺伝子治療だが,導入された遺伝子が心筋,骨格筋すべてに行き渡る可能性はあるのか,脳ではDMD遺伝子は精神遅滞に関与するのか,などの点で不安が残り,これら基礎研究の遅れは将来の遺伝子治療の足をひっぱりそうな気配である.もちろんこれを反省して,もう1度基礎的な研究をやり直そうという気配もある.
私は本書で,こころを規定する遺伝子はどのようにして見つかったのか,その遺伝子が細胞内で正常ではどのように働き,また遺伝子変異が最終的に精神症状を引き起こすのか,を読み解こうと思っている.性格の遺伝のように,まだ研究の端緒が開かれたばかりのものもあるが,興味はその後にある.しかも,ヒトのこころの異常を遺伝的に研究することは最近始められたばかりであり,疾患のターゲットも少ない.いわんや異常ではないヒトの表現型である性格,人格,人間性などの解析は,ほんの子どもの遊び程度の段階と言ってよいであろう.このあたりになると,これらの表現型は遺伝子で決定されるのではなく,環境によってどうにでもなる性質のものであるといった議論が出てくるのは当然である.ここで私は,すべて遺伝子によって規定されているという立場で以下の事実を分析してみようと思う.結果が明らかに間違いならば,仮定が誤りであることを示しているに違いない.
ヒトのこころを規定する遺伝子がわかったところで(今や家系があれば,遺伝子探索はテクニシャンの仕事である),それが細胞内で,またもっと重要なことだが,ヒトの個体内でどう働くかがわからないようでは,頭が悪いといわれても仕方あるまい.人類の最後のブラックボックスである脳の研究においては,DMDの轍を踏む訳にはいかないのである.
本書では,最近よく研究されている老化,精神疾患,プリオンなどを中心に,こころの遺伝子研究を全7章として私の興味を中心にまとめたものである.話が唐突で焦点が合っていないと感じられたら,それは私をはじめとする他の研究者の頭の中が散漫なためであり,決して読者のせいではない.現在のニューロサイエンスの謎と,研究者の奮闘の一端がわかっていただければ大変嬉しく思う.