序 文
医師になってはじめに赴任した病院で最初に所属したのが救急科であった.1年目医師は救急室を受診する全患者さんの初診をみるのが役割だった.ひっきりなしにやってくる外来患者さんを診ながら,「外来やりながらでも救急車が来たらそっちを先に診ろ!」と先輩医師に言われた.「救急車が来たのはどうやってわかるんですか?」と質問すると,「サイレンの音でわかるけど,病院に近づくとサイレン鳴らないから時々窓の方をみて赤灯がまわっているのを見て気づけ!」とのたまわれた.他の患者さんの診療中に1日に何十台も来るのだ,気づくわけがない.結局「せんせー,救急車来ているよ.何してるの!!」と看護師さんに怒られる.“せんせー”という語にさして尊敬の意味が無い事もよくわかった.当時は救急車からの事前情報などない.周辺の救急隊はすべての疾患を自動的にすべてこの病院に搬送していた.何が来るかは来てみないとわからない.3台くらいまとめてくることも珍しくなく,てんてこ舞いの日々であった.
しばらくすると救急車から事前情報が入るようになった.「何十何歳男性,階段から転落して頭部外傷,10分で到着」などと前もって教えてくれる.教えてくれるのはいいが,かならずしもこちらの知りたい情報があるわけではない.来てみると別な主訴だったりもする.到着するまでの時間も外来をつづけているが,救急車の方が気になってしまってかえって集中できない.どうせ全部診るのだから前もってちょっと知ってても知ってなくてもはっきり言ってあんまり変わらない,というより私の場合は気になって集中力が落ちる分だけマイナスと言えた.
この救急隊からの情報だが,最初のうちはより重症な主訴であったばあいに「ドキッと」したのだが,そのうち要領がわかってきて「CPA」と言われた時がもっとも「ホッと」した(不謹慎かもしれないが……).やることは決まっているし手伝いも周りにいる.「胸痛」のときは心筋梗塞と大動脈解離の2つを,「頭痛」のときはくも膜下出血と髄膜炎の2つをつねに考えれば良いことを学んだ.発熱ときたら血液培養を取って痰と尿のグラム染色をし,意識障害ときたら最終的にわからなくても「あいうえお」なんだかを鑑別すれば及第点はもらえた.外傷や熱傷も概ね手順がきまっている.ところが,「腹痛」はいつまで経っても苦手だった.疾患が多彩でやばそうなものを少しだけにしぼることができない.アッペや消化管穿孔などを経験してもつぎからつぎへと知らなかったけど重症で手術になってしまう腹痛が現れる.「せんせー,〜分後に腹痛が来まーす」なぞと言われるとこちらの心窩部の方がキリキリしそうであった.ちょっとだけ年数が上の先輩医師もやっぱり腹痛は苦手らしく,「この人なんだろうねー??」と一緒に悩んでいるうちに時間がたってしまう.あとからやってきた強面の外科医に「何時間も前から来てるのになんでさっさと声かけないの!!」とドヤされてしまうのが常であった.こんな時,持っていはいるけど読んでない “COPE”(Cope’s Early Diagnosis of the Acute Abdomen)を紐解いてみると,さっき怒られた,自分では全く想像つかなかった疾患が,果たして教科書通りの典型例であった.
その後研修を終え,外科医となり,幸か不幸か医師としてのキャリアのほぼすべてを救急病院で過ごしてきた.そのなかで学んできたことは「腹痛」はこれだけ除外しておけばとりあえず大丈夫という項目にまとめることが難しく,数ある緊急疾患の典型例を1つ1つ経験してゆかねばならないということであった.それがどれほどの経験かは自分ではよくわからないのだが,そうした経験がこれからキャリアアップしてゆく若手医師に何かのヒントになればというつもりで「一般外科指南書」というサイトを数年前から開設している.このたび中外医学社の五月女さんよりお声かけをいただき,一般外科指南書のうちの「急性腹症のトレーニング」の項目を全面的に改訂して本書を執筆することとなった.遅筆で〆切を守れないことしばしばでありながら粘りづよく支えていただいたばかりか,煩雑な構成をとてもみやすいレイアウトに仕上げてくださった.中外医学社ならびに五月女さんにはこの場をかりて深く御礼を申し上げます.
平成26年3月
窪田忠夫