序
中外医学社から本書の執筆依頼をいただきました.たぶん,診断と治療社「甲状腺疾患診療マニュアル」で共同編集のひとりに名前を連ねさせていただいているためと思われます.「マニュアル」は研修医や一般医家を対象に書かれていますが,専門医にも役に立つ内容をということで,結果的にはかなり専門的になってしまいました.私のところへも専門外の医師からは少し難しいという感想が寄せられていました.最近,日本甲状腺学会でもガイドライン作りがさかんです.Basedow 病の治療ガイドラインは第2 版が出版されましたし,甲状腺腫瘍の取り扱いガイドラインも近々出版されます.本書は,そのようなガイドラインから逸脱しないように注意しながら,さらにわかりやすく,即戦力になり,この一冊でおおかたの甲状腺診療ができるようにといった,何とも欲張りであつかましい目標のもとに執筆しています.
甲状腺疾患について一般医家の方々に知っていただきたい理由はいくつかあります.第一に,首が腫れてきたと言って来られる方は別にして,甲状腺機能亢進症や低下症の症状は不定愁訴に近いものが多く,甲状腺疾患を疑わないと見逃してしまう可能性が低くないこと.原因がわからず長年放置されていたり,他の疾患に間違われて治療されていたりします.第二に,一般血液検査の項目には甲状腺ホルモンは含まれていませんが,甲状腺機能異常を疑うヒントが隠れていることが少なくないこと.第三に,甲状腺ホルモンを測定さえすれば一目瞭然になること.第四に,甲状腺疾患の頻度は意外に高いこと.一般外来での甲状腺中毒症の頻度は,女性で150人に1人,男性で600人に1人程度,甲状腺機能低下症の頻度は女性で50 人に1 人,男性で100人に1人程度です.これに甲状腺腫の頻度を加えますと15 人に1 人と相当な症例数になり,一般外来で遭遇するのは必至ということになります.
最後に少し自己紹介をさせていただきますと,研修医終了後,京都大学医学部第二内科井村裕夫教授(現在の内分泌代謝内科,中尾一和教授)の甲状腺研究室に所属しました.両教授に内分泌疾患のイロハを教わったのはいうまでもありませんが,特に甲状腺学については森徹先生と中村浩淑先生から直接の指導を受けました.両先生はいい意味で対極の診療ビジョンをお持ちでしたので,その中で学べたことは大変勉強になりました.かたや甲状腺というホルモン分泌の視点から,かたや甲状腺ホルモン受容体というホルモン作用の視点から,と言うと少し言い過ぎかもしれませんが,そんなスタンスが先生方の日常診療に反映されているように感じられました.現在,私は国立病院機構京都医療センターの診療部長,内分泌・代謝内科の診療科長と併設の臨床研究センターの研究室長を兼任させてもらっています.良くいえば臨床も研究もできて,私にとっては理想的な(見方によってはどっちつかずの中途半端な?)ポジションにいます.また,京都府の社会保険診療報酬支払基金の審査委員を拝命して10年以上がたちます.というわけで,そのような立場だからこそできるようなお話を本書から感じ取っていただくことができる内容になっていれば幸いです.インターネットが発達して,診療中でも簡単に疾患についての検索ができるようになりました.しかし,情報は玉石混交です.断片的な知識を知恵に変換する必要があります.甲状腺疾患に関し,本書がその一助になることを切に望みます.最後になりましたが,東北地方太平洋沖地震による東日本大震災の被災者の方々には慎んでお見舞い申し上げます.
2012年4月
田上哲也
甲状腺,ホルモンあっての,向上心・・・過ぎたるはなお及ばざるが如し