はじめに
漢方薬を診療に取り入れていない医師は、もはやごく少数派であろう。どこのクリニック、どこの病院に行っても、普通に漢方薬が処方される時代になった。
さて、漢方薬を処方すること≠漢方治療、であることは、前者にはともかく後者にはそれなりの理論と手技が必要であることを意味する。前者には極論すれば医師免許さえあればよく、後者にはそれなりの漢方的知識が上乗せされて要求される。
漢方医学の学習は、よく「傷寒論」に始まり「傷寒論」に終わる、といわれる。中身は知らなくても、「傷寒論」の名前くらいは誰でも知っているだろう。「傷寒」とは急性発熱性疾患のことであり、「傷寒論」はその治療学書である。したがって上の言は一部正しいのだが、同時にわが国の漢方医学の欠点もそのまま負っているのである。それは、「傷寒論」が急性発熱性疾患の半分しかカバーしていないことによる。
後の半分は何かというと、それは“温病学”である。ざっくりといえば、傷寒は初期に悪寒を伴い、後に発熱する感染症の総称で、一方の温病は初期に悪寒を伴わず、ただ熱が出る感染症の総称である、となるだろう。
漢方の“本場”中国では、傷寒+温病で初めて、急性感染症が総括できるとしている。現代医学的にも、感染症では、初期に悪寒があるものとないものとがある。悪寒のあるものだけを取り上げれば、それは不十分であることがよくわかるであろう。これが「傷寒論」に加えて温病学の理解が必要な理由である。
そういうわけで今回は、漢方の急性感染症を理解するために、傷寒論+温病学の解説を試みた。むろん、現代の臨床に活かすためである。
2016年12月
著者
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おわりに
前半で康治本を軸にした「傷寒論」の話をし、後半に温病論の代表である葉天士の「温熱論」についての話を終えた。
ここで簡単に復習しておく。
傷寒とは、寒邪・風邪が人の体表に取り付くところから始まる(寒邪襲表:太陽病)のだった。そこでまずは悪寒を感じる。
寒邪がわずかに体内へ進もうとするが、どっこい体表付近を守っている正気(衛気)がそうはさせない。ここで正邪の闘争を演じるようになり、寒が押せば寒気が、正気が押せば発熱がみられる(寒熱往来:少陽病)。綱引き状態である。
邪が強くて衛気を破り、体内へ押し込むと、正気は中からどんどん補充され総動員されて、邪気と正気の相争はますます激しさを増し、高熱がみられる(化熱入裏:陽明病)ようになる。激しい汗で津液不足が生じ、口渇や便秘をきたす。
もちろん、以上の過程のどこかで正気が勝てば、治癒する。
しかし、正気が劣勢(=寒邪優勢)となると、邪正相争は邪の一方的な侵攻に変わり、寒邪はますます内へと侵入し、下痢が始まる(寒傷脾陽:太陰病)。
体内が寒盛となり下痢が止まらなくなる(少陰病)。体の芯はすっかり冷え切って、それがますますひどくなり、残余の陽気が表へ上へと押しやられ、辛うじてその部分に熱感を帯びる(真寒仮熱:厥陰病)ものの、やがては体すべてが寒に支配されて、最後は陰陽が分離して患者の命は尽きる(陰陽離訣)。
傷寒論は温病の本ではないが、先に書いたように、急性発熱性疾患・感染症には傷寒と温病とがあり、それぞれの特徴を知ることで、かえって傷寒論の理解も進むと考えた。温病についても説明しよう。ここでは2つの体系の違いを浮き彫りにしながら進めてみたい。
発症 傷寒(太陽病)vs温病(衛分証)
まず、発病だが、傷寒は先述のように寒邪襲表からスタートだった。これに対し温病では、温熱の邪(温邪)が口や鼻から侵入することで始まる。こういう状態を衛分証という。衛気が体表を衛っているであろう。そこがやられたステージなのだ。
傷寒ではぶるぶるっと悪寒がするが、温病では悪寒がない(もしくはあってもごくわずかで済む)。初期の悪寒の有無が大きな違いのひとつだ。傷寒の治療は桂枝湯、麻黄湯などの辛温の味がする薬で温めて、発汗・解表するのであった(辛温解表)。寒邪を、体を温めて追い出すわけだ。これに対し温病では、銀翹散や桑菊飲などの辛くて冷ます薬で温邪を追い出す(辛涼解表)点が異なる。これらの処方には、金銀花、連翹、桔梗、薄荷、茅根などの清熱薬がずらりと並んで配合されている。逆に温病に桂枝湯・麻黄湯を使うと余計にひどくなるのだ。
正邪相争 傷寒(少陽・陽明病)vs温病(気分証)
さて、傷寒は寒邪と正気の押し合いへし合いで寒熱往来(少陽病期)があって、その後は化熱入裏で陽明病になり、熱のみになるのだが、温病では温邪と正気の押し合いへし合いで、熱だけしか出ないわけである。しかも一気にすごい熱が出る。このステージを気分証という。ここだけを取り出してみると、傷寒における陽明病との違いが一見わからない。用いる処方は麻杏甘石湯、梔子鼓湯、白虎湯、大承気湯など傷寒論処方と共通のものも少なくない。
違いは、これに麦門冬、生地黄などの陰を守る薬がよく配合されることだ。傷寒の陽明病でも熱が盛んになるが、治療により治ってしまうか、遷延してもやがて陰病期へ突入しても冷えるだけで、陰を損ねてしまうことはない。ところが温病では、この後のステージでは熱しかないので、ただただ暑いのである。したがって陰(津液)をたちまち奪われてしまうのだ。水を飲むのはもちろんであるが、津液(陰)イコール水ではない。陰を守る、陰を生み出すような治療が必要なのだ。
邪の内攻 傷寒(太陰・少陰・厥陰病)vs温病(営分証・血分証)
傷寒では、この後正気が負ければ三陰病へ突入し、ほぼ寒が身体中を占めるのだが、温病では正気が負けても温邪が押し込んでくるので、熱が出っぱなしになる。しかも営分という体の深い位置に入り込んでくるので、津液がさらに痛めつけられ、臨床上は高熱+脱水+意識障害をきたす。
さて、傷寒では宋板には「二三日」「四五日」などとあったように、病の進行は比較的緩やかだが、温病は違う。数時間単位で一気に進行し、しかも次の血分証に至っては、血が熱をもつことでいろんな箇所から出血するようになり、もはや末期症状にまで一気に進んでしまうところが恐ろしいところだ。
この時期の温病の治療には、犀角、鼈甲、阿膠、牡蛎、石英などの清熱・養陰薬が多く用いられ、動物薬、鉱物薬が目立つ。
以上のように傷寒・温病はそれぞれ原因こそ寒邪・温熱邪と正反対であるが、体に侵入し、熱証をきたす感染症らしき疾患同士であることは共通である。しかし向かう方向は寒と熱と丸反対で、治療も丸反対である。屹立する2大発熱性疾患として並べてみた。今一度読み返して、傷寒そして温病の理解に役立ててほしい。
2016年12月
著者