■はじめに
昔、あったずもな。
遠野の里の語り部たちは、決まってこの言葉から物語を始めるという。
さて、この本は日本全国から寄せられた血糖値にまつわる88の物語を集めたものである。物語のなかには、語り部自身が経験したものもあれば、伝え聞いたものもあり、あるいは想像によるものが混じっているやもしれぬ。27人の語り部のなかには、医師もいれば、看護師、薬剤師、管理栄養士もいる。おそらく、語り部自身に秘められた病の経験や心の痛みがあって、そのことが登場人物の心と共鳴して、これらの物語が紡ぎだされたのではないかと思う。
どんどはれ。
■あとがき
今の時代における物語の意味とは、何なのだろう。そんな漠然とした問いを胸に抱きながら、私は京都から岩手へ向かった。
岩手といえば、遠野物語、そして宮澤賢治が思い起こされる。遠野物語は、短い口頭伝承の集合で、現代人からすると不可解に感じられる内容も少なくないが、注目すべきは、その多くが経験談の体裁をとっていることである。宮澤賢治の物語も、どこか現実離れしたところがある。
東日本大震災から半年ほどたった2011年の晩秋。私は被災した友人を釜石の仮設住宅に見舞った。彼は、「いろいろと助言されるのが辛い。被災地支援で来てくれた人のなかに、ただ、ただ、話を聞いてくれる人がいた。それが、いちばんありがたかった」と話していた。その夜、私は風の又三郎が仮設住宅の上を、どっどど どどうど どどうど どどう、と駆け抜けるのを聞いた。そして空には、満天の銀河が輝いていた。
この本に集められた88の物語をどう感じるかは、読者に任せたい。自己管理を要する慢性疾患に悩む患者がいて、そっと寄り添う医療従事者がいる。自己中心的な原理が勢いを増し、他者への無関心が蔓延する現代において、私は、ここに希望を見出したい。
最後に、注文の多い編者と著者のさまざまな要望に、いささかの不満気な顔もせずつきあってくださった中外医学社企画部の鈴木真美子さん、大塚千佳子さん、藤原一義さんと同社編集部の沖田英治さんに感謝したい。また、解説の執筆にあたっては、分担執筆者の一人でもある能登洋先生に助言をいただいた。
治せぬ病を癒すために。
2014年夏 イーハトーヴにて
著者一同を代表して
村田 敬