序 文
21世紀は「心の時代」とも呼ばれ,人の心の健康についての関心が高まっている.その一方で現代社会はますます複雑化し,不安やストレス要因も多種多様で個別性が著しい.特に今の日本は,自然災害や社会・経済,そして治安や健康上の問題など,「不透明で先行きが見えない」,「何となく落ち着かない」,「安心できない」といった様相にあり,全般的に緊張感が高く心の余裕を欠き,不安の種は尽きないように思われる.このような不安は,地域や時代の中で共有されるものであり,現代は本能的不安や恐怖が賦活化されやすい,人の心が不安定化しやすい時代といえるであろう.
不安には,誰しもが経験する「正常不安」と,過敏で過剰なものといえる「病的不安」がある.また不安は誰にとっても日常的に生じる情動であるが,その起こり方には個人差が大きい.取るに足らない些細な事柄にも不安を抱く人もいれば,当然不安が惹起されるような状況にあっても平然としている人もいる.この個人差には,心身の健康状態に加え,生来の不安脆弱性や今までの経験に基づく不安の条件づけ,対処や認知のパターンを含むパーソナリテイ,サポートなど様々な要因が関わっている.このような不安に耐え,健全に対応しようとすることは,個人の強さや対処能力を育み,心的成長を促し,人生や生活に深みや抑揚を加えるものとなるであろう.しかしこの過程で,もし心身の健康を損なう事態が生じるとすれば,専門的知識に基づく安全で適切な抗不安薬による薬物療法は,回復を後押しする有力なサポーターとなりうるものである.
本書は,エキスパートの先生方による,いわゆる「抗不安薬」を中心とした不安の薬物療法全般に関する解説書である.各章には,不安のメカニズムや各抗不安薬の薬理学的作用機序といった基礎的知識から,不安が関わる心身の病気,さらに妊産婦や高齢者,勤労者,身体疾患患者などへの臨床的応用まで,最新のエビデンスに基づく様々な情報やヒントが散りばめられている.特に薬物療法の適正化,そして多剤併用処方の是正が喫緊の課題とされる今だからこそ,抗不安薬の適切な使用法の習得が重要になると考える.実際,抗不安薬は今なお最も処方量が多い,実臨床での応用範囲が広い向精神薬であり,我々がその特性やメリット・デメリットなどを熟知して,そのリスクにも十分に配慮し,安全に効果を最大限発揮できるよう用いるとすれば,現在でも有用性が高い薬物の一つであるだろう.さらに抗不安薬を用いる対象が,精神科領域に留まらず,身体疾患全般にわたることは本書の構成からも明らかである.
本書が精神科医に限らず,各診療科,あるいはプライマリーケアを担う先生方,看護や介護,心理職など医療スタッフの方々,その他不安に対する薬物療法を学ぼうとする皆さんにとって,抗不安薬の理解を深めるための良き資料となり,また実臨床における手引きとして,これを必要とする患者さんへの治療の中で有効活用されるとすれば,著者一同のこの上ない喜びである.
2015年1月
松永寿人