摂食障害という生き方
−その病態と治療−
瀧井正人 著
A5判 250頁
定価3,520円(本体3,200円 + 税)
ISBN978-4-498-12968-9
2014年06月発行
在庫あり
摂食障害という生き方
−その病態と治療−
瀧井正人 著
A5判 250頁
定価3,520円(本体3,200円 + 税)
ISBN978-4-498-12968-9
2014年06月発行
在庫あり
摂食障害は単なる病気にとどまらず、「摂食障害という生き方」そのものである。それに対して治療者は何を知り、何をすることができるのかという真摯な問いかけと向き合う著者が、長年実践している行動制限を用いた認知行動療法の全貌を豊富な経験をもとに解説した。
推薦文
摂食障害、とりわけ中核的な摂食障害やボーダーライン状態を呈する摂食障害が大変難治であることは論を待ちません。それは、薬物で治療できるのでもなければ、既成のガイドラインに沿う通り一遍の治療で治る病でもないからです。そうであるがゆえに、摂食障害に本格的に取り組む治療者は決して多くありませんし、体重の増加や抑うつ・不安の一時的な軽減等、表面的な治療的対応ですませている臨床家が少なくありません。
しかしながら本書の著者瀧井正人は、摂食障害に正面から毅然と取り組む卓越した心療内科医です。本書では、瀧井が長年実践している『行動制限を用いた認知行動療法』の全貌が初めて明らかにされています。それは、大変わかりやすく書かれている臨床場面での実践の方法や留意点だけではありません。瀧井が摂食障害に出会い、苦悩・苦闘し、その過程でこの治療法を完成するまでの研鑽や試行錯誤を含めて克明に描かれています。本書全体を通して読者は、摂食障害という病、そしてその治療の実際を、真摯に取り組むひとりの治療者の姿を通して学ぶことができるでしょう。
私はまったく同感なのですが、瀧井が書いていますように、摂食障害という病は「摂食障害という生き方」なのです。しかしながら、その生き方は歪んでおり、こころを殺す行為に等しいそれです。ですから、私たちは治療者としてのみならず、ひとりの人として彼女らに真剣に向かい合うことが必要なのです。瀧井はみずからの治療法を簡素に『行動制限を用いた認知行動療法』と名づけていますが、治療法を支える重要な要素は治療者としての在り方であり、それを実践してきました。師である野添新一氏の治療を「その人の人生に問いかける行動療法」と呼んでいますが、この名称は瀧井の治療法にもそのまま当てはまるものです。
私は精神分析の立場から摂食障害を治療してきましたが、本書には私自身の実践と共通する多くの見解、経験、技法を見出します。すなわち本書で瀧井は、治療技法を越えた摂食障害の理解と治療法を鮮明に提示しています。読者は、摂食障害という生き方の実態、その治療方法について多くを学ぶとともに、治療者としてのこころの在り方を学ぶという豊饒な機会を手に入れるでしょう。ここに私は、摂食障害の病態やその治療を真に学びたいすべての人に、本書をこころよりお勧めします。
2014年4月
京都大学大学院 松木邦裕
序文にかえて(表紙について)
摂食障害の患者さんについて筆者が抱くイメージに、グリム童話の「いばら姫」があります。いばら姫は、生まれて間もなく受けた魔女の呪いによって、ちょうど15歳になった日に糸巻き車のつむ(糸巻き)の針に刺されて、100年の眠りにつきました。お城も家来たちも同じように眠りにつき、お城の周囲ではいばらが伸びて茂みとなり、やがてお城全体を覆い隠してしまいました。美しいいばら姫のうわさを聞いて、茂みを突破してお城にたどり着こうとした王子たちがいました。しかし、彼らはいばらの中で宙づりとなり身動きが取れなくなって、悲惨な最期を遂げたということです。
摂食障害の患者さんは現実の世界を回避し、自分だけの世界にこもります。変化をおそれて日々同じことを繰り返し、精神的な成長もなく、患者さんの中で時間は止まってしまったかのようです。いばらの深い茂みは、自分を守ろうとして患者さんが周囲との間に築いた厚く固い壁のようです。それを乗り越えて、彼女のこころにたどり着き、眠りを覚まさせることは容易ではありません。
しかし、100年の歳月が流れ、いばら姫が目を覚ますべき時がやってきました。また一人の王子が現れ、これまでの王子たちがみんな悲惨な最期を遂げたことを聞かされましたが、姫に会いたいという思いを抑えることはできませんでした。王子がいばらの茂みに近づくと、そこには美しい花ばかりがあって、それらは自然に道をあけて王子を傷つけずに通してくれました。そして、王子のキスによりいばら姫はめざめました。お城も召使たちも。
摂食障害は単に病気として記述されるよりも、このような物語に例えられる方がしっくりくるところがあります。長い年月にわたる人知を超えたようなストーリーの中で、治療者は何を知り、何をすることができるのでしょうか。この物語の王子たちのように、命を落とすということまではないかもしれませんが、摂食障害の治療は治療をする自分自身が問われ、自分自身に返って来るようなところがあります。誰にとっても容易ではない、しかし望みがないわけではなく、真摯な試みがいつか実を結ぶこともある。そういうところが、筆者にとって摂食障害治療の魅力の大きな部分を占めているのではないかとも思われるのです。
2014年5月
瀧井正人
あとがき
『37歳で医者になった僕』というテレビドラマがありましたが、筆者が医師となったのは36歳の時でした。そして、遅まきながら医師への道を歩き始めた医学生や研修医の頃に、『心療内科』や『摂食障害』にめぐり合いました。そのことは、半ば偶然のようでもあり、今考えてみてもとても幸運なことだったと思います。
医師という仕事は、客観的にはもちろん恵まれたやりがいのある仕事です。しかし、それまでの筆者は、通常の医師の仕事にこれといった生き甲斐や面白みを感じることができないでいました。一生仕事が面白くなくても、仕方がないと思っていました。しかし、心療内科や摂食障害は、不毛であることが予定されていた筆者の医師人生の意味を変え、光を与えてくれたのです。
人間に「こころ」と「からだ」があるとしたら、当時の医学の世界で大切なのはからだだけのように思えました。こころを扱うのは医学という科学のすることではなく、医師としてあってはならないことだというメッセージが強くありました。そういう中で、心療内科はこころというものに正面から取り組もうとした、唯一の診療科でした。医学界全体の意向に反してそのように宣言したと、言っていいのかもしれません。筆者はこういった心療内科のあり方に自分の居場所をみつけ、仕事と生き甲斐が矛盾しないものだと初めて感じることができたのです(今ではどの診療科も、少なくとも表向きには、患者さんの心理面の大切さを唱えるようになっているのですが…)。
心療内科で扱う疾患(心身症)の中でも、摂食障害は特別なものように思われます。まだ心療内科医として新米の頃、「摂食障害が扱えるようになれば、どの心身症も楽に診れるようになる」と、言われたものです。その言葉には、「摂食障害を診ることができなければ、どの心身症も十分に扱えない」という意味も込められていたように思います。それは摂食障害を熱心に診ておられる先生方からの言葉だったので、多少割り引いて聞く必要があるかもしれません。しかし、あながち間違ってはいないように思われます。心身症は、「こころで起こるからだの病気」と言われていますが、その中でも摂食障害は最も重大なこころの問題が深く関わっているのです。その問題を理解し適切に対応することができなければ、有効な治療はほとんどできません。
摂食障害を主に身体面や行動面の問題として扱う医療者・研究者も少なくありません。しかし、こころの問題の大きさ、深さに立ち向かわなければ、摂食障害の表面をなぞっているだけで、その真実にせまることはできず、治療も中途半端に終わってしまいます。筆者が摂食障害を専門として選び、ずっとそれを続けてきたのは、やはりこの病気が最もこころの問題と深く関わっているからだと思われます。そして、この病気に関わり続けることで、自分自身のこころにも向き合っていかざるをえなかったということも、やりがいを感じる上で大きかったように思います。
この本の題名を「摂食障害という生き方」としたのは、摂食障害は単なる病気ではなく、彼女達が選んだ(選ばされた?)生き方のように思えるからです。カイコという生物がその習性によって繭を作るように、患者さんは生きにくい人生を何とか生き延びようとして、摂食障害という独特の生き方を作り出します。その生き方は客観的に見ると、自己破壊的で、不合理で、不幸で、なぜそんなことをしているのかわからない、一言で言えば謎に満ちたものです。しかしながら、いかに説得されても、彼女達はその生き方を容易に変えようとはしません。その生き方は摂食障害の症状に彩られていますが、単に症状の集合ではなく、生きる態度であり、その人が生きる意味も含まれているのです。彼女達がそのような生き方をするのには、彼女達なりの必然があるのです。
普通の価値観からすると、それを否定するのは簡単です。摂食障害を最も苦手だとし、嫌い、敬遠する医療者も少なくありません。彼女達にある程度以上関わった人達の多くが、彼女達のことを理解できず、どう対応したらいいか途方にくれています。しかし、その理解や対応の難しさに耐え、積極的に関わり治療していくことで、彼女達は他では見られないことを教えてくれます。彼女達が本当に望んでいたものがあったこと、それがどうしても得られなかったのでとても不幸になったこと、人生の大切なものを犠牲にしてまでその不幸を取り除こうとしたこと、そのようなことがうまくいくはずもなくますます幸福から遠ざかってしまったこと……。彼女達の虚偽に満ちた振舞いの向こうに、そのような物語が見えてくるのです。「摂食障害という生き方」には、多くの患者さんに共通している部分も大きい一方、一人一人違った部分も小さくなく、それぞれの人生を感じることができます。
この本では、前半に患者さんと治療者のやりとりを中心とした治療経過と、その中で筆者が感じ考え学んだことを描き、後半に治療法の詳述とそれについての考察を述べました。これは、前半に総論、後半に各論という通常の医学書の構成とは、順序が逆になっています。このような構成は、患者さんの中に真実があるのであって、治療として関わる中でその真実に触れることができて、その経験がやがて治療法に結実していくという、筆者の治療者としての考え方やあり方を反映しているように思われます。まず理論があって、それから治療法ができ、その治療法を患者さんに当てはめていこうというのではありません。
治療の中で患者さんがどのように変化し成長していったかということとともに、筆者がどのような経験を経てどのように悩んで変わっていったかということも、全体を通して描いています。治療者にとっても、摂食障害に深く関わるということは、単に患者さんを治療するというだけでなく、自身の人間としてのあり方や価値観のようなものを成熟させてくれるというところがあるのではないでしょうか。摂食障害とともに歩んできた道は、こころ貧しかった筆者の人生を、結構豊かなものにしてくれたのではないかと思うのです。
*
摂食障害について今筆者が知っていることの殆どすべては、患者さんに教えていただいたことです。摂食障害の真実を教えて下さった患者さん達に、深く感謝いたします。彼女達とともにした全ての経験が筆者の血や肉となり、これから先も宝物であり続けるでしょう。
九州大学病院心療内科の歴代の教授、中川哲也、久保千春、須藤信行の先生方には、思う存分治療に打ちこませていただきました。納得のいく治療を行おうとするあまり、ご迷惑をおかけしたこともあっただろうことをお詫びいたします。玉井一先生には、摂食障害という魅力ある分野に引き入れていただきました。野添新一先生は、かけがいのない師であり、治療者としてのモデル・目標でした。青木宏之先生には、摂食障害の認知行動療法の理想形を見せていただきました。医学部の時からずっと同期であった野崎剛弘先生は、早くから最も良き理解者となり支え続けてくれました。松木邦裕先生は、違うタイプの治療をしながらも大切なことについては同じことを考えているという稀有な存在で、大いに勇気をいただいてきました。推薦文を書いていただいたことは、この上ない喜びでした。そして、九大病院心療内科病棟の看護スタッフは、治療の最大のパートナーでした。彼女達の質の高い看護なしでは、治療はなりたちませんでした。
筆者は、昨年度より九大病院の常勤医を辞し、かなり異なった環境で摂食障害の治療を続けています。九大病院とはまた一味違った経験を豊富にさせていただいており、その経験も含め、またご紹介する機会があれば幸いです。
九大病院心療内科の摂食障害治療の今後は、共に多くの患者さんの治療を行い、たくさんのディスカッションをした、若い後輩たちに託したいと思います。
本書作成にあたって、神谷博章医師、尾崎洋子看護師などから、原稿への貴重な御意見をいただきました。
イラストレーターの佐藤圭二氏には、筆者の摂食障害のイメージを元に、表紙の絵を描いてもらいました。藤原一義氏の装丁とともに素晴らしい仕上りとなりました。
中外医学社の小川孝志氏、上村裕也氏には、様々なお願いに辛抱強く柔軟に対処していただきました。
その他、紙面には書き尽せませんが、本書ができるまでにお世話になった多くの方々に、深くお礼を申し上げます。
2014年5月
瀧井正人
目次
序章
摂食障害という謎への手掛かりとしてのいくつかの考え方・キーワード
摂食障害という謎
摂食障害の多面性・多様性
摂食障害の診断基準
ワンポイントメモ1●神経性無食欲症の病名をめぐって
診断基準だけではわからない患者さんのあり方
20数年前の摂食障害のイメージ─ANが中心─
現在の摂食障害の病像─病像の多様化、すそ野の拡がり─
治療者による理解や態度の違い─カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る─
摂食障害に関する基本的な考え方の不一致─「百家争鳴」、「群○、象をなでる」─
摂食障害の交通整理的な3つの類型
3つの類型の概観と主に訪れる診療科
3つの類型の問題点
3つの類型と治療
快感原則と現実原則
ワンポイントメモ2●快感原則と現実原則
『境界性パーソナリティ障害的摂食障害』における「快感原則」「現実原則」
『中核的摂食障害』における「快感原則」「現実原則」
『軽症摂食障害』における「快感原則」「現実原則」
2章
最初の5年間
九州大学病院心療内科での研修
最初に受け持った摂食障害の患者さん─他の精神疾患との関連が大きいと思われたAN男性例─
ワンポイントメモ3●オペラントとは?
治療への抵抗が大きく、中途退院となったAN女性例
優しいBNの患者さんに森田療法(?)を試みる
大学病院での研修を終え、関連病院へ出張
出張病院で出会った重症AN患者さん─『中核的摂食障害』の原型を与えてくれた女性─
鹿児島大学への国内留学
カルチャーショック
その人の人生について問いかける行動療法
筆者の初期の軌跡のまとめ
3章
九州大学心療内科に戻って出会った治療困難な患者さん達
10年にわたり10回の入院を繰り返したANの一遷延例
入院までの外来治療経過
個々の患者さんに見合った目標体重や治療枠を設定する必要性
治療の中でしなくてもいい失敗をさせることのマイナス
どのようにして実現可能で有効な治療目標や治療枠を設定するか─テーラーメイド医療─
ワンポイントメモ4●プロクルステスの寝台
『強度の強迫傾向を持つ神経症水準のAN遷延例』の病態と成因について─『強迫的防衛』と『回避』─
変化することへの不安・抵抗の大きい摂食障害患者さんに、自発的な入院を促す方法
家族への対応、家族が果たした役割について
入院治療
第I期:治療導入期
ワンポイントメモ5●再び摂食障害の在院日数について
ワンポイントメモ6●『ダメなものはダメ』『ならぬものはならぬ』という対応
第II期:変化への抵抗期
第III期:認知・態度の変容期
ワンポイントメモ7●こころから反省することの難しさ─ペナルティが有効となるための条件について─
退院後の経過
4章
摂食障害治療者のあり方について
なぜ筆者は、摂食障害の患者さんと関わり続けてきたのか?
それまでの考え方や治療との葛藤
筆者を大いに悩ませたある治療
摂食障害の治療は何によって成り立つか─言葉は、行動や身体によって裏付けられていなければならない─
再び、筆者を大いに悩ませたある治療について─『裸の王様』に教えてもらったこと─
THE LORD OF THE RINGS
フロド的態度とサム的態度の両立
5章
『中核的摂食障害』の成因
1.『強迫的防衛』と『回避』
2.『全般的、徹底的回避』
3.やせることですべてが得られるという錯覚:その形成と防衛
4.大人になることへの準備不足:固いままの花芽=『現実原則』の形成不全
5.『依存』『嗜癖』
ワンポイントメモ8●1型糖尿病への摂食障害の併発
6.自分をコントロールできない強い不安
6章
『行動制限を用いた認知行動療法』
『行動制限を用いた認知行動療法』とは
治療の原型
『行動制限を用いた認知行動療法』の生い立ちをさかのぼって
原型から『行動制限を用いた認知行動療法』へ
総論
入院治療の実際の手順と患者さんへの対応の仕方
ワンポイントメモ9●食事への介入が、摂食障害の根本的な精神病理や生き方の改善につながる
入院治療中に生じる難題や患者さんの要求に対する対応
ワンポイントメモ10●患者さんの不満への対処の意義─治療についての認識を深めさせ、現実(人生)を受け入れていく過程を支援する─
認知・行動の変容のための働きかけ
治療結果・予後について
ワンポイントメモ11●『行動制限を用いた認知行動療法』の治療結果・予後に関する研究
終章
『行動制限を用いた認知行動療法』の本質と筆者の治療者としての軌跡についての考察
『行動制限を用いた認知行動療法』は認知行動療法と言えるのか?─行動的アプローチの重視─
『行動制限を用いた認知行動療法』や治療者との関わりによる、こころの成長
封印とその解除─筆者の中での変化─
意味を考えること
まとめ
あとがき
索引
執筆者一覧
瀧井正人 北九州医療刑務所長・九州大学病院心療内科非常勤講師 著
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