はじめに
精神医学には統合失調症,神経内科学にはパーキンソン病の長い治療の歴史があります.しかし,認知症はどうでしょうか.13年前にわが国で介護保険が導入され,一般の医師も意見書を書かなくてはならなくなり,改訂長谷川式スケールやミニメンタルステート検査といった記憶検査を行うことで,認知症はどのような疾患であるかという感触はつかめるようになったと思います.
同じころからアリセプトというわが国初の認知症の中核症状(記憶,見当識,判断力など)に効果が期待できる薬が処方できるようになり,認知症がいよいよ医療の舞台に上がるようになったことは,ここに説明するまでもありません.しかし,私は医師生活31年間のうち29年間は大勢の認知症患者を診察し,そのうち最近の22年間は認知症外来を続けてきました.つまりアリセプトのない時代にも何らかの処方をして家族に喜ばれてきたのです.
その何らかとは,どういった薬であるのかおわかりでしょうか.向精神薬(私が抑制系と呼ぶ薬)です.その代表がグラマリールであり,多くの家族に「介護が楽になりました」と評価されてきたのです.認知症には,中核症状と周辺症状に分かれるのですが,統合失調症の処方には,現時点で周辺症状薬(幻聴や妄想を消す作用)しか存在しません.それでも立派な治療と認められています.
アリセプトの登場以来,認知症は中核症状を治せるようになり,それを「本格的治療」と称して医学会は盛り上がりました.これでアルツハイマー型認知症の制圧は癌の制圧より早くなったと色めきたったことでしょう.ところが,アリセプト発売から1カ月間で約200人に処方した私は,アリセプトに秘められた厄介な副作用に眉をひそめたのです.患者が怒りっぽくなるのです.
脳内にはいろいろな神経伝達物質があり,それぞれがバランスを保っているのに,記憶に関係しているアセチルコリンだけを増やすように設計されたアリセプトが患者の脳を不自然な状態にすることは,いまから考えると当たり前のことだったのです.私がそれに気づいたのは,レミニールやリバスタッチパッチ・イクセロンパッチ(以下リバスタッチと略す),メマリーの登場がきっかけでした.
とくにレミニールは,自然界に存在した化学構造物ですからいろいろな神経伝達物質を増やす作用があります.リバスタッチ,メマリーもそうです.この3成分は,逆にドパミンを揺さぶることでアリセプトにない副作用(傾眠)をおこすのですが,いずれも患者に合った用量を選べば大きな問題にはなりません.
アリセプトで怒りっぽくなった患者を診て,私はすぐにアリセプトの副作用とわかりましたが,13年たった今でもそれは認知症が進行したからだと思っている医師がいるようです.中核症状改善薬(中核薬と略す)4成分が出そろったのはいいことですが,どうやって使いこなせばよいかわからない,4成分ともに設けられた「増量規定」をどの程度遵守しなければならないのかという疑問の声が湧きあがっています.早く,現場に一発回答を出してやらないといけません.
結局私が家族から圧倒的に支持されてきた「家族を楽にさせる」処方とはどうあるべきか,せっかく開発された中核薬のよいところを最大限に引き出すためにどのような処方をすればよいのか,抑制系薬剤はアメリカでは患者の生命予後を短くさせるなどの警告が出ているが処方してよいのか,などあらゆる疑問に明快に答えることができます.
認知症患者が急増し,いわゆる専門医だけでは診きれない状態にすでになっています.私が2007年からインターネット上で公表してきたコウノメソッド(認知症薬物療法マニュアル)は,認知症に不慣れなプライマリケア医が,おおまかに認知症の病型鑑別をし,患者のキャラクター,体質に合った処方がすぐにできるように指導しています.中核薬こそが認知症治療の王道だという考え自体が間違っています.家族に評価される処方こそが王道だと確信しています.
2013年5月
著 者