序文
精神症状は当事者の語りの中にある。
語りの中から重要な要素を抽出するのが症状論の第一歩である。もちろん要素を総和しても全体が得られるわけではない。だが要素を抽出しなければ分析できないから、一つのステップとして抽出は必須である。こうして精神医学は、統合失調症当事者の語りの中から、幻聴や妄想やさせられ体験や思考伝播などたくさんの要素を抽出してきた。それがいつの間にか統合失調症の診断学になった。抽出された症状項目の有無をチェックしていき、チェック作業が完了した時点で診断が決定される。この手法は常に批判されながらもじりじりと市民権を得て、現代の診断学になった。そこに立ち現れた統合失調症は、要素の組み合わせのみによって描写された、生命のない標本と化している。
本書の症状論は、そんな状況からのデコンストラクション=脱構築を志向したものである。採った手法は当事者の語りへの回帰である。語りの中の要素抽出の段階から見直しを図り、多彩に見える統合失調症の症状の統一的理解を目指した。これは決して新しい手法ではない。昭和の時代、島崎敏樹や安永浩らによって精力的に、かつ精密に実践されてきた手法である。この時代に統合失調症の症状論は大きく進歩し、美しく開花し、そして開花したまま凍結した。学問としての症状論は停滞したのである。以来、統合失調症の診断学は退化し、現代に至っている。
停滞した理由は、発展性が見えなくなったからである。クロルプロマジンやCTスキャンが臨床に導入され始めたばかりの当時、症状論は診断や治療への発展性のない閉じた学問であった。当事者への恩恵に繋がる可能性が見えなかった。それは凍結した花がフリーザーの奥底にしまい込まれても仕方ない事情であった。
現代は当時とは比べものにならないくらいニューロサイエンスが進歩し、その進歩は精神科臨床にも大きく貢献している。凍結した症状論を解凍すれば、ニューロサイエンスとの接点が見え、症状論自体も科学的に修正できるはずである。そして統合失調症の生物学に直結する診断学が見えてくるはずである。
もう一つ見過ごしてはならない大きな違いがある。当時と現代では、情報拡散の範囲とスピードが桁違いだということである。医学的知見はリアルタイムに近いタイミングで当事者に伝わる。診断学は常に未完成であるが、当事者は完成を待っているわけにはいかない。DSMが仮の体系にすぎないといくら精神科医が言っても、他に替わるものがなければ当事者は、そして社会は、DSMを最も権威ある診断基準として尊重する。その結果として発生している混乱はあらためて記すまでもない。現代の診断学とは、未完成な段階においても、当事者に最大限に利益になるものでなければならない。
『統合失調症当事者の症状論』と題した本書は、当事者の語りに基づく症状論であり、当事者のための症状論でもある。
2021年1月 著者