Introduction
脳神経内科は「解剖学的診察がややこしい」,「診断の白黒が即座につかない」,「検査結果より臨床所見を重視するようだがそのあんばいがわからない」とよく言われる.第一の「診察」に関して,脳神経内科の巨匠たちによれば「病歴8割以上,診察2割未満」 1),「神経学的診察の80-90%は病歴聴取にある」 2)と語られており,診察が苦手なら病歴で診断をつけようという極論もある 1).外来では次の患者さんを待たせている.外来の一患者の診察時間は平均で5分前後,大学病院の全診療科の初診で17分±16分という報告がある 3).初診でも最大で30分が常識的な時間設定であると仮定して,この限られた時間の中で,診察を行うまでには鑑別診断を挙げ,診察項目の中での優先順位を決めていなければならない.解剖学は診察中ではなく,病歴の聴取中に適用していくのである.
第二の,「診断の白黒」に関してだが,科学理論と擬似科学理論との区別を提案した哲学者カール・ポパー Popper Kによれば,「体系の実証可能性ではなく反証可能性こそが両者の境界設定の基準であるべき」とのことである 4).診断というものは瞬間ごとに常に暫定的な仮説であり,臨床情報の追加や科学の進展によって新たに疾患概念が確立された場合など,100年後でも覆されうる.確率として存在するリスクや予後が組み重なる現時点において,いま行える最善の策は何かを探るのが医学であり,そのような仮説において,反証可能性を残さない診断を,もし行っているのであれば,循環器科であろうが産科であろうが,脳神経内科でなくてもそんな方法論は即刻かなぐり捨てるべきだと思う.かと言って誤解のないよう加えるが,反証可能性はいつまでもカルテに「疑い」をコピペし続けることを言っているのではない.経過や追加情報,新知見によって,刻々と診断をアップデートさせようという連続的診断技術 5)であって,診断が確定しているはずの退院後にも小心者のカルテにコピぺされ続けるあの優柔不断な疑い診断とは異なる.
第三の,「検査偏重主義」をどれほど改めればいいのか.患者さんからも経営的な観点からも,無駄に検査が期待されているのは事実であり,期待に応えているのかとぼけているのか,ルーチン画像検査でお茶を濁す医療が全幅の信頼を得て久しい.しかし増大する医療費を背景として,イギリスのような包括報酬の導入も将来的には検討されていくだろう.医療成熟期にこそ検査に頼らない診療技術が必須となる.
本書では,脳神経内科の実践トレーニングとして,病歴やsnap diagnosisを頼りに鑑別を挙げ,不足した追加情報を想定する方法を提案する.村上もとか氏の漫画『JIN─仁─』(集英社)のように,いっそのこと,検査ができない状況への「時間留学」をしよう.診断学の腕を大幅にあげるきっかけとなるだろう.未知なる古典の世界への時間留学を終えてこの本を閉じる頃には,きっと脳神経内科が好きになると約束する.このような目的から,怪奇譚の中で出会う,病歴に近似する事例を経過とわずかの所見から,現代例との比較および文献的裏付けにより医学的に検討する形式とした.なお本書の現代例は複数例から典型像を抽出した架空の症例を用いた.
本書は怪奇譚を科学的に説明して神仏や妖怪の類を「存在しないもの」とおとしめることを目的としていない.本邦では,神仏妖怪を科学から説明しようという試みは明治初期の井上円了(1858-1919)から始まった.同時代の落語家,初代三遊亭円朝(1839-1900)はこういった動きに対して『真景累ヶ淵』(真景は「しんけい」のもじり)の冒頭で批判を行っている.科学対オカルトという対比で不思議な現象をそれぞれ交わらない別ベクトルで対決させるジャンルは存在するが,なぜそのような無粋なことをするのか.この20年で体外離脱体験などの不思議な体験は脳解剖学でその局在が確かめられてきており,医学が不思議へ歩み寄る時代はすでに幕が開けている 6).全人類に共通するものの日常とはかけ離れた不思議な体験は,感情を強く揺さぶる.しかし宗教や共同体の希薄化により,こうした稀な個人的体験は通常置き去りにされている 7).生と死を扱う医学という学問は,次なる「魂への配慮」を模索する時代が来ている.
医者でもあった江戸の怪奇文学作家の上田秋成は,『雨月物語』の序文で,怪奇譚を取り扱うが自分の創作は取るに足らないものなのでどうか恐ろしいことが起きませんように,という「言霊返し」をつけていた.そういうわけで,私も先人に倣う.ご先祖様たちの尊く深い知恵には遥か及ばない,拙い浅知恵をちょいと展開するのだが,医学の習熟に用いるだけで,幾多の伝承が持つ神聖性をそこなうつもりはない.どうか安らかにお願いしますと付け加えておく.
参考文献
1)池田正行. 問診による神経疾患診断戦略(リカチャンハウスとプラレール). square.umin.ac.jp/~massie-tmd/kaitourmsl.html
2)福武敏夫. 神経症状の診かた・考えかた. General Neurologyのすすめ. 2版. 東京: 医学書院; 2017.
3)木佐健吾, 川畑秀伸, 前沢政次. 日本国内の診療時間研究の現状─システマティックレビュー─. 日本プライマリ・ケア連合学会誌. 2012; 35: 37-11.
4)カール・R・ポパー. 大内義一, 森 博, 訳. 科学的発見の論理(上・下). 東京: 恒星社厚生閣; 1971.
5)Caplan LR, Hollander J. The effective clinical neurologist. 3rd ed. Shelton: People’s Medical Publishing House; 2011.
6)Blanke O, Ortigue S, Landis T, et al. Stimulatory illusory own-body perceptions. Nature. 2002; 419: 269-70.
7)黒鳥偉作, 加藤 敏. 「喪の作業」の完了によって消失した悲嘆幻覚の1臨床例─正常な悲嘆とスピリチュアルケア─. 精神神経学雑誌. 2015; 117: 601-6.