序文
本書はとかく難しいと思われがちな神経心理学や高次脳機能障害学と呼ばれる領域について,さまざまな症候のイメージをつかみ,その本質を理解していただくことを目指した.背景にある歴史的・理論的な枠組みについても限られたスペースの中で理解してもらえるように配慮した.対象とする読者としては神経心理学に興味のある初学者,実際に高次脳機能障害の診療をする機会がある一般臨床医などを想定して編集されている.
各章の冒頭にはベッドサイドで試してみる評価法と,言語療法士に依頼して検査室で評価してもらう検査がまとめてある.その一部は簡易検査法としてダウンロードしてすぐに使えるようonline materialとして収載している.これはあくまで簡易版だが,評価法がよくわからないという方にとって臨床場面での一助となれば幸いである.各章の本文には実際の症例が呈示されていて検査方法が解説されている.また,百聞は一見に如かずというが失語や発語失行の症例の音声データや失行の動画などをonline materialに収載している.本文の症例呈示と合わせてご覧いただければ具体的なイメージがつかめるだろう.
高次脳機能は失語,失行,失認など,認知ドメインと呼ばれる要素に分解できる.その中には階層的な関係をもつドメインもあれば並列的な関係のドメインもある.興味のある章から開いてみていただいてよいのだが,高次脳機能の全体を俯瞰して大局的な理解とアプローチをするために初学者の方にはまず第1章「認知機能の診察と所見の解釈」を読んでいただくことをお勧めする.そのうえで第2章から第15章をお好きな順番に読んでいただくと,さまざまな部位の脳損傷で出現する多彩かつ不思議な臨床症候に巡り合い,学ぶことができるだろう.
本書の執筆にご協力いただいたのは高次脳機能障害の臨床の第一線で活躍している専門家で,特に脂の乗った旬の年代の方々に執筆をお願いした.近年,神経心理学の教科書は多く出版されているが,本書は「教科書的」な記載にとどまらず,血気盛んな著者達の意気込みと思い入れが記述の隙間に垣間見られるのを感じていただけるのではないかと思う.神経心理学は生きた学問であり,症例との出会いとインスピレーションによって創造されていくべき学問だと思う.本書で「最近の研究」を取り上げたのは,伝統から学びながら力強く学問を進歩させるために,各章の著者の興味を読者に伝え,未来志向の神経心理学をイメージしていただくことを意図している.本書をきっかけに一人でも多くの読者がこの分野に興味を持っていただければ望外の喜びである.
本書は多くの方々の支えで完成した.中外医学社の鈴木真美子氏と小川孝志氏には企画から発刊まで辛抱強く励ましご尽力いただいた.二村美也子氏には言語療法士の立場から日常臨床の他に本書についても何かと相談にのって頂いた.宇川義一名誉教授には臨床,研究の両面からご指導いただいた.この場を借りて厚くお礼申し上げます.本書は企画の段階で西尾慶之氏と東山雄一氏から多くの助言を頂き,その後も担当章の執筆に加えて多くの原稿をみて頂いた.両氏の友情と熱意に深く感謝する.
2019年10月
小林俊輔