はじめに
認知症診療で患者さんの臨床経過を診ていくと,認知症症状の進行悪化や行動・心理症状BPSDの出現などのように認知症由来の症状あるいは状態とともに生活習慣病の悪化あるいは転倒・骨折,けいれん発作,肺炎・誤嚥性肺炎,尿失禁などの身体合併症あるいは身体症状の発現をみることが多いと思います.さらに悪性腫瘍や心疾患,脳血管障害などを合併してくることがあるかもしれません.従来の認知症診療は,早期発見・早期対応が重要,認知症に対する医学的診断は医師の務め,患者さん本位の介護が柱になっていたかと思いますが,今後の認知症診療では,認知症患者さんに伴う身体合併症あるいは身体症状への治療や対応も重要な課題になってくると私は考えています.とくに高齢認知症患者さんでは,多くの併存疾患をもつことは当然のことだと言えます.認知症と生活習慣病との視点でみますと,認知症と糖尿病との関係がしばしば話題になるのですがそのほとんどは両者の病因あるいは病態から論じられるだけであり,では実際に認知症に伴う糖尿病をどう治療していけばよいのか,認知症患者さんに食事療法や運動療法の厳密な実施が可能なのか,糖尿病治療薬としてどの薬剤がより適切なのか,インスリン製剤を誰が打ったらよいのかなど具体的な治療や対応に関して議論されることが少ないように私は感じてきました.実臨床では病因や病態よりも糖尿病を持つひとりの認知症患者さんを前にしてどう治療を進めていったらよいかの課題が求められているのです.
今後,高齢認知症患者さんの増加とともにその患者さんがもつ身体合併症あるいは身体症状の治療にもわれわれ医師が今以上に目を向けていく必要があると考えています.認知症診療は,認知症があるのか否か,薬物療法をどう進めたらよいのかを中心とした診療からその患者さんがもつ身体合併症,身体症状をも含めた包括的認知症診療にそのスタンスを変えていくべきであると私は考えています.極論を述べると,その患者さんに認知症が存在しているのか否かを訴求するよりもその患者さんがもつ認知機能の低下を踏まえて身体的治療をどう進め,その患者さんがその後の人生をよりよく生きていけるお手伝いをすることが認知症診療に携わる医師の務めではないかと考えています.
本書は,上記の視点から認知症患者さんに伴う身体合併症,身体症状の治療に焦点を当て作成しています.私自身が個々の身体合併症,身体症状の治療に関して確固たる信念を持つ段階に至っているわけではありませんし実際の診療現場では試行錯誤を繰り返しながら身体合併症,身体症状の治療を行っているのが実情です.本書を作成するに際して可能な限りガイドラインや成書を参考にしておりますが,基本的なスタンスは私自身が実臨床で行っている治療の考えかたや治療薬選択を記述しております.本書の記載のなかで多くの疑問点や言及できていない事柄,曖昧な記載あるいは私の誤った解釈などについてはご海容下されますことをお願い申し上げます.本書の内容でひとつでも読者の方々のお役に立つことができればそれは私の喜びとするところであります.
2019年9月20日
川畑信也