序
本書はポケットブックであり,ベッドサイドや外来診察室の臨床現場ですぐ知りたい,確認したいと思う神経解剖,臨床評価スケール,診断基準,治療ガイドラインなどについて,多忙な臨床医に対し最も短時間に最適な情報を提供することを目的としたものである.対象は脳神経内科専門医を目指す若手医師を想定するが,脳神経内科をローテーションする研修医,一般内科医にも広く利用できるものとした.例えば腕神経叢の解剖や筋の髄節支配を記憶することは難しいが,覚える必要はなく,本書のp.333〜335を参照して白衣のポケットから出してすぐに確認すればよい.MRI 解剖,診断基準や臨床評価スケールも同様である.本書では図表,実際の画像・波形,フローチャートを多用して,視覚的に短時間で理解できることを重視した構成を意識した.ベッドサイドや診察室で使うことを想定しているので系統的な解説書にはなっていないが,診察手技や診断のコツを補助するために,ポイントを箇条書きで述べた.
本書ではMRI 解剖学を多く取り入れ,「運動野,角回,縁上回の同定法」,「ラクナ梗塞と血管周囲腔の鑑別法」,「海馬萎縮の同定法」,「ADC-mapの意義」など有用なMRI 診断の知識や理論を掲載した.また「コラム」欄を多く設けて臨床の現場に役立つ豆知識やトピックスを提供した.例えばC8根障害と尺骨神経麻痺の症状は酷似するが2-3指と4-5指の姿位が解離するイメージを知っていれば1秒で尺骨神経麻痺と診断できる(at-a-glance Neurology,p.20参照).4-5指のPIPとDIP関節が屈曲する理由は虫様筋麻痺によりMP関節が過伸展するためである.筋萎縮性側索硬化症にほぼ特異的にみられる小手筋萎縮(split hand)とその病態仮説を述べた.この所見を診た瞬間に診断は確定する.また,過換気症候群では現場で学生や研修医に「何故しびれるんですか?」と尋ねられると実際は結構困る.正解は「神経軸索に発現するNa チャネルの1〜2%は安静時に開口している持続性Naチャネルであり,これが呼吸性アルカローシスにより著明に活性化されて内向きのNa電流によって軸索に異所性脱分極が起こるから」である.臨床の現場でよく遭遇する症状の発現機序を知って診療することには意義があり,またこれらを当然のように即答すると後輩には尊敬される(かもしれない).
現在はインターネットの時代であり得られる情報は膨大であるが,一瞬で目的とする項目にアクセスすることは難しい.本書では白衣のままPCに向かう際に簡便に知識を広げることができる有用なウェブサイトに関しても臨床に役立つと思われるものを掲載した.ワシントン大学のNeuromuscular Homepageに飛ぶと,その年に発表された神経・筋疾患についての新規疾患関連遺伝子やその臨床像を数分で理解できる.
臨床神経学の楽しさは部位診断から分子病態機序に即した治療にまで広がりつつある.本書は短時間で簡便にそれらの過程を補助することを意図したものであり,ポケットから出して該当部分を一瞥するだけで多忙な臨床医の診療の助けとなり,ひいては患者のためにも役立つことを望みたい.
2019年4月
桑原 聡
本書は2010年刊行の「神経内科ポケットリファレンス」を改訂・改題したものである.