【書評】
書評者:山崎 悟(国立循環器病研究センター分子薬理部)
本書のタイトルを見ると、一見、研究の世界における「ハウツー」本や入門書のように見えるが、本書はそのような類の本ではない。語り口は平易であるが、研究を行って行く上で実践的に必要と思わることが、著者の経験をベースに重厚に記述されている。そして、本書はさながら、著者の回顧録のような位置づけにさえみえる。このようなアプローチは、純文学小説(≒私小説)ではないが、自身が歩んできた道、経験してきたことを直裁に語ることこそが、実はこれから研究を行おうと考えている人に大いに役立つ可能性があることを示唆する。また、本書には、もう1つ特徴的なことがある。すなわち、国際政治学者であるヘンリー・キッシンジャーはかつて、「政府高官の地位を得ることによって、我々は政策決定のやり方を学ぶことができる。しかし政策を判断する能力は身につかない。高い地位に就いても、知的な能力が増すわけではない。高い地位を得る前に学んだことだけが、役に立つ」、という言及を行った。このことは研究の世界にも拡張できる概念であり、本著者においても、処女作にあたる「No reflow現象を斬る: その病態と治療(1999年、医学書院)」と今回の著書を比較すると、循環生理学に基礎を置くという執筆思考プロセスは一緒である。
本書の構成は、概論として「医学における科学研究とは何か?」という著者の考え方を述べた後、大まかには「基礎研究」と「臨床研究」の2編に分けて、それぞれの研究を行って行く上で著者が必要と感じていることを記述する(詳細は、是非本書を読むことをお勧めする)。少しだけ補足すると、基礎研究編に関しては、X-Y-Z座標軸(ここでは、研究目的、研究室への入り方、研究ストラテジー)によるピン止め法は、様々な場面で応用が効くノウハウである。臨床研究編に関しては、自らのグループが率いて行ったJ-WIND研究を例に、前臨床研究に基づく試験デザイン、患者のエントリー体制、および各エンドポイントの統計解析などのノウハウが俊逸である。
さて、それ以外に白眉なのは、論文作成に関することである。まず、査読というものが、充分研究のことを考える余裕がある状態(著者の言葉を借りると、ゆったりとした状態でコーヒーを飲みながら、という状態)で行われるものでは決してなく、本業に追われた余裕のない状態で行われるのが実際のところであるので、そのようなことを意識して論文を投稿すべきである、というのは示唆的である。また、論文のネーミングの話についても言及されている。近年、医学研究は要求されることが多くなり、それなりの人数で研究を進めていかないと、なかなか大きな仕事になっていかない。そうすると、筆頭著者およびボス的な立場で指導する者だけですべての責任を賄うことには無理があり、最近はcorresponding authorとlast authorを分ける傾向にあるようである(これを別の喩えでいうと、かつて劉邦が項羽を倒して「漢」という国を建国したときに、内政を司る蕭何、軍師・参謀である張良と、戦場の現場を指揮した韓信を「漢の三傑」として同列に扱った事に類似する。)。
最後に、第V章の14項目「医療関係者が医学研究をする本当の意味」、この部分は、著者自身が「我々はなぜ本来的に研究をするのか?」という問いを立て、それに自ら回答する形をとっている。どのような回答をしているのかは本書に譲るが、実はこの部分こそが、著者が本書を通じて最も伝えたかったことなのではないか?と評者は考える。そして、読者に対してこう語りかけたかったのではないだろうか?「さあ、(私と伴に)医学研究をはじめよう!」と。