まえがき
高次脳機能障害とは,失語・失行・失認を指す言葉であると従来考えられてきた.失語症に関するBrocaの研究では,脳の機能(その障害)とそれを担う脳の構造の対応を示しており,脳の局在論について重要な方向性を示した.失語症以外でも,失行,失認についても臨床病型の分類とそれを説明する脳の局在論が繰り広げられた.一方,これらの症状が回復するのかどうかという点では,大きな進展はなく医学的な興味は,診断学・症候学のレベルでとどまっていた.
脳の器質的病変がもたらす脳の働きについて,失語・失行・失認の古典的な高次脳機能障害以外にも問題が指摘されていた.小児科領域では,学習上の問題や認知機能の問題が,高齢者の領域では,認知症にからんで記憶障害が,外傷性脳損傷では古典的神経心理症候群の範疇に収まらない広範囲の認知機能障害や社会的な行動障害が話題となっていたことがそれである.
医学では病因−病理−発現の因果関係のなかで病因を治療する方法が採られてきた.一方,リハビリテーションでは,機能障害(臓器がもたらす症状)の回復が困難と考えられた場合には,代償機能や環境を調整して能力低下(個人が通常行っている機能の制限)の軽減を図る方策が取られていた.最近では,生活機能を高め社会的な役割をどう再獲得するかを目的とする対応まで取られるようになった.
このような時代の変化に伴い,大脳連合野の機能障害についてもリハビリテーションの対象とする下地が形成されてきた.診断学・症候学として蓄積された診断法や理論的解釈を用いて,症状自体は治癒しないまでも,どのような対応を個々の患者で検討すべきか,残された機能を用いて生活をどのように営むことができるかといった広い視野に立った治療の段階に至ったということができる.
昨今,「高次脳機能障害」をタイトルに冠する医学書がたくさん発行されている.本書では,局在症状の理解,評価方法,その治療法(リハビリテーション)を具体的に記述している.何よりも,障害を負った患者が示すであろう心理学的な反応まで踏み込んだアプローチ−神経心理学的アプローチが述べられている.高次脳機能障害は,内科医・神経内科・精神科医・脳神経外科医・小児科医など医師や看護師,リハビリテーションに関わる理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・臨床心理士・医療ソーシャルワーカーなどたくさんの職種が関与する必要のある問題である.これまで何の苦労もなく行ってきたことが,突然,上手くゆかなくなって戸惑っている患者さんが,再び居場所を見出すことができるような対応が可能なレベルまで,我が国の医療サービスの質が変化してきたことは感慨深いものがあり,本書の内容が関連職種の方々の日々の仕事に少しでも役立てば幸である.
外傷性脳損傷患者の広範な高次脳機能障害のリハビリテーションに関わってきたが,武田克彦先生から本書の企画について相談を受け,このような形で実現できたことに深謝します.
2012年8月 茶崖にて
長岡正範