まえがき
このたび,中外医学社から若手の医師向けに肺炎の診療についての書籍を出版する機会をいただきました.2011年,肺炎は脳血管障害を抜いて日本人の死亡原因の第3位に上がりました.その大きな理由は人口の超高齢化ですから,今後もますます肺炎の罹患率・死亡率は増加すると予想されています.高齢者の肺炎が増加する一方,医療のめざましい発達により免疫能低下患者や移植手術患者などが増加している背景から,多彩な基礎疾患を合併する複雑な肺炎も増加しています.そのため,あらゆる診療科の先生,あらゆる診療施設の先生(プライマリー・ケア医を含む)にとって,「肺炎」に向き合う機会が増えています.本書は,将来の専門領域にかかわらず,若手の医師,あるいはこれから肺炎についてしっかり診ていきたいという医師を主な対象として書きました.
本書の特徴を3点,ご説明します.
(1)本書は「ぱっ」と答えを引き出すためのポケットマニュアルではありません.それを望むなら,サンフォード・ガイド「熱病」や研修医マニュアルなどの類を参照されるのがよいでしょう.そうすると,目の前の患者に対してどの抗菌薬を使えば無難なのかをすぐに知ることができます.これらの優れたマニュアル本には模範解答例は載っていますが,それに至る道筋があまり記されていません(もちろん例外あり).私にはこんな経験があります.レジデントのとき,目の前の不整脈の患者に対して,当直用レジデントマニュアルに頼ってばかりいました.私は循環器疾患が苦手ですから,その本で治療薬という「答え」を探し,急場をしのいでいたわけです.ところが,不整脈の根本を勉強したことになっていませんので,いまだに不整脈についての理解ができていません.病態理解という土台がないため,ちょっと変化球がくると打ち返せず,循環器内科の先生をすぐにピンチヒッターとしてコールしてしまいます(ごめんなさい…).私は既存の書籍にはない「肺炎診療の考え方」について順序立てて理解いただきたいと思い,本書の執筆にあたることにしました.出版社の「○○の診かた・考えかた」シリーズの趣旨と一致したわけです.あんちょこ本を出版するのではなく,基本から学んでいただける書籍を出版されている中外医学社の見識に敬意を表します.
(2)実用的でない書籍でも困ります.本書では実用面に配慮し,できるだけ見やすいレイアウトを工夫しました.筆者の所属部署には毎年沢山の学生や研修医がローテートしてきます.1年間で,学生が50名,研修医が40名くらいでしょうか.また,外勤先の病院にも常時複数の研修医がいます.こうした未来の医療の担い手を想定して,2002年から京都大学独自の肺炎マニュアルを作成し,そのコンセプトを指導の核としてきました.しかしながら短期間のローテートでは肺炎の診療について十分に伝えることは不可能で,いつも「不完全燃焼」感があります.そこでこれらの経験を活かし,若い先生方が陥りやすい誤解や彼らにぜひ掴んでいただきたいポイントを念頭に,執筆しました.理論的な考え方を押さえつつ,実践に役立てていただきたいと思います.
(3)欧米においても日本においても,肺炎などの治療ガイドラインはある程度整備されてきた感があります.その中で本書では,ガイドライン化した治療法を前面に解説した諸書籍のようなものではなく,あえてそこから発展した形を目指すことに主眼をおきました.多くのガイドラインは数年おきに版を重ねています.編集には多くの執筆者の多大な労力がかかっているのですが,新版になって旧版のよかった部分が正当な理由なく削られていることがあります.また,同じ論文でもガイドラインによって解釈・扱いが異なっていたりすることがよくあります.本書によりガイドラインを吟味するきっかけにしていただきたいと考えます.
医療を提供する側にとって,近年ずいぶん大きな変化がありました.すべての医療機関に共通の変化ではありませんが,紙カルテから電子カルテへの移行,アナログ画像(フィルム)からデジタル画像への移行,DPCの導入,研修制度・専門医制度の変革などです.良い面も悪い面もありますが,あらゆる面のデジタル化・自動化・役割分担化の波のなかで,医師としてのアイデンティティーとは何かを自問する時代に入っているように思います.原点は,やはり患者そのものを自分の目で見て,把握し,分析することでしょう.そのうえで感染症診療においては,治療のターゲットは微生物であり,原因微生物に適した治療を行うという基本はゆるぎないものです.本書を手に取った医療従事者の方には,「新しい時代の肺炎診療の基本的な在りかた」について考えていただくきっかけになれば,これ以上嬉しいことはありません.
2016年2月
京都大学医学部附属病院呼吸器内科
伊藤功朗