はじめに
1998年にわが国の自殺者総数は一挙に3万人を超え,その状態が14年間,文字通りの高止まりのまま続いた.確かに,最近3年間は年間の自殺者総数が3万人を切ってこそいるが,それでも依然としてわが国は,先進国のなかで最も自殺率の高い国のひとつである.
こうしたなかで,わが国では,2006年に自殺対策基本法が制定され,以後,自殺対策は国家的な取り組みとなった.そのなかでも早くから行われてきた対策事業は,「うつ病の早期発見,早期治療」,「かかりつけ医と精神科医との連携」といった精神科受診促進事業,皮肉な表現をすれば,「精神科に行こう」キャンペーンであった.
しかし,自殺予防のために精神科医療に何ができるのであろうか?
正直にいうと,それについて私は,「かなり心もとない」と感じてきた.というのも,精神科医療関係者のなかには,「死にたい」と訴える患者に「命を粗末にしちゃいけない」と説教したり,リストカットや過量服薬を繰り返す患者を叱責したりするスタッフがいまだに少なくないからである.
また,精神科医療関係者の教育体制も気になる.たとえば,精神科のレジデントに,「患者に自殺念慮について質問するのは是か非か? そして,それはなぜか?」,「患者から『死にたい』といわれた場合の対応は?」と質問すると,躊躇なくすらすらと答えられる者は意外に少ない.
これはレジデントだけの問題ではないかもしれない.もしかすると彼らを指導する側の中堅からベテランの精神科医もまた,こうしたことを十分に理解できていない可能性はないだろうか? 事実,筆者自身,自分がこれまで受けてきたトレーニングをふりかえると,初期研修,あるいは精神科医として専門的なトレーニングにおいても,自殺リスクの評価と対応に関して系統的な教育というものを受けた記憶がない.
要するに,自殺リスクの評価と対応という,文字通り「命にかかわる」重要な仕事を,ほとんど「直感」や「常識の延長」で行っている精神科医療関係者は,想像以上に多い可能性がある.はたしてこのような状態で,かかりつけ医から紹介された患者や,救命救急センターから診察を依頼された自殺未遂患者の自殺リスクを正しく評価し,適切に対応することができるのであろうか?
これからの自殺対策は,単に「精神科につなぐ」だけでは不十分であり,「つながった後の精神科医療の質を向上させること」こそが重要な課題となる.その第一歩として,自殺リスクの評価と対応の基本をある程度,系統的に解説した本が必要ではないか.それが,筆者が本書の執筆を思い立った理由である.
本書は決して自殺予防全体を包括したものではないし,自殺の危機介入という限られた領域に関しても,まだまだ不完全な点も多々あろう.見方によっては,筆者が現時点で自信を持って語れるものだけしか語っていない,という感覚も否めない.しかしそれでも,本書の内容は,精神科レジデントや精神科コメディカル,あるいは,他の診療科医師や初期研修医が,明日からの臨床にすぐに生かせる情報であると自負している.
ぜひ自殺予防に関心のある臨床家,援助者の方にご一読いただきたいと願う次第である.
2015年4月
松本俊彦