はじめに
この度,1型糖尿病の診療ガイドブックを編纂する機会を賜り,光栄至極に存じます.私自身が1型糖尿病を持つ糖尿病専門医としてこれまで取り組んできた臨床,研究および啓発活動の経験について,出し惜しみのないよう本書に詰め込みました.しかしながら,1型糖尿病治療の理論については敬愛する諸先生の手によって素晴らしい指南書がすでに広く世に出ております.また,昨今のインスリン療法の進歩は目覚ましく,技術的な面で血糖コントロールに難渋することは少なくなってきました.ですから本書では,それでも解決に至らず私たちを悩ませている実臨床上のアンメットニーズに焦点を絞り,解決策の模索を行うことといたしました.
そうしますと,エビデンスよりも経験論に基づいた1型糖尿病「あるある」を可能な限りたくさん抽出することが必要となります.そこで,私個人が絶大な信頼を置く各分野のスペシャリストの先生方に執筆をお願いいたしました.結果的に私と同じ1型糖尿病を持つ先生方,あるいは患者さん自身の貴重な経験談を多く頂戴することになりました.いったい,どんな本になるのか,手に取る日が楽しみでなりません.
さて,英文誌に論文を投稿されたことがある方はご存じのことと思いますが,“糖尿病患者”のことを私たちは“diabetic patient”とは呼びません.“a person (people) with diabetes”すなわち“糖尿病を持つ人(たち)”と表記するように強く推奨されています.確かに,“You are DIABETIC.”というと直感的に無礼極まりない感じがしますね.しかし,“You have DIABETES.”であれば納得できます.この語感の違いを紐解くと,最近糖尿病医療でさかんに使われるようになった言葉「スティグマ(烙印)」の本質に気づきます.つまり,“diabetic patient”だと「糖尿病」というレッテルを患者さんに貼って全人格を修飾しているため,表現として適切ではないということです.糖尿病はあくまで一個の人格を成す1つの「要素」にすぎません.
ですから,私は1型糖尿病患者さんと接するときには,“diabetic”の視点を排除するように心がけています.そうすると,「あなたは糖尿病だからこうあるべきだ/こうなれないだろう」あるいは「あなたは糖尿病だからこれをしてはいけない/これはできないだろう」という先入観に満ちた治療や療養指導にはならないはずです.
一方で,実際問題としては糖尿病を持つという事実がその人の人生を左右する障壁となることが多々あります.もちろん,“diabetes”という持ち物にも軽重がありますが,その重さを支える患者さん側の特性や心理社会的背景にも十分な配慮と対策が必要だと考えられます.個々によって1型糖尿病がもたらす問題の大きさや種類は実に多様であり,一個の人生のなかでもキャリアステージによって刻々と変化します.
本書を手に取られた皆さんが,1人1人のライフキャリアに応じた1型糖尿病診療を各地で育んでくださることを願ってやみません.
2023年2月
前田泰孝